November 21, 2009

日記(10月末から11月)

■10月某日
もう少し若いころは人づきあいもかなりとんがっていたが、
中年もだいぶ半ばにさしかかって、
人と一緒にいることを楽しむことが少しできるようになってきたと思う。

ピアノのレッスンの後、
先生と先生のもう一人のお弟子さんであるMさんをお誘いして
神楽坂をご案内がてらランチをする。
こういうことも、昔はあまりなかった。
思い立ったときにしておかないと機会を逃してしまうかもしれない、
という思いがいつもよぎる。

■11月某日
先週の授業で、学生から来週はお休みですよ、と教えてもらった。
あらー、シラバスまたずれちゃうじゃないの、と思いつつ、
思わぬ時間のプレゼントが嬉しい。
雨が今にも降りそうだけど、久しぶりに神田古本市に行こう。
ネットで全国の古本が買えるようになってから、
古本をひやかしに歩くことがなくなってしまった。
お昼前に出て、ついでにボンディの欧風カレーも食べてこよう。
成果は中野重治関連の本を何冊か。

■11月某日
妹がフランスから帰国。
義弟も出て来て3人で鰻を食べに出る。
一時間近く待たされて、鰻が来たときには、
もう3人ものも言わずにむぐむぐ喰う。
その後二人は都内のホテルに向かった。
私は帰って昼寝。
鰻くっちゃったら、午後の仕事は無理だしー。

■11月某日
いつの間にか「大人買い」という妙な日本語が定着したようだが、
作家の全集を買うのはまさに「大人買い」である。
月給取りになって、この快感に目覚めた。

院生の頃はどうしても必要な一冊だけバラで古本屋で買って、
あとは図書館に日参して読むというようなことをせざるを得なかった。
今は有り難いことに(かどうかは実際のところわからぬが)
「あ、その棚、全部いただくわ」ってなことが、
ぽちっとクリックするだけでできる。

というわけで、中野重治全集を取り寄せた。
読み始めてみると、雑文がおもしろい。
随筆などという高尚な名前よりも「雑文」と呼んでしまった方がいいような、
短いエッセイのような文章がおもしろい。

仲間内でアジったりするときの文章は専門用語が多くて楽しめないが、
60年代の講演記録などは、私の今の研究に直接関係ないんだけど、と思いつつも、
つい読んでしまった。
噛み砕いて話さねばならないという場合に、
この人はもっともその言語能力を発揮したのではあるまいか。
わかった風な口をきくことを、この人は絶対にしない。
しゃべった端からそのしゃべった言葉に注釈を加えていくような、
一種独特の語り口。
徹底して自覚的なのに、
そこに自意識過剰を感じさせない落ち着き。

イデオロギーは置いといて(てなことを言うと、中野重治研究者に
叱られてしまいそうなんだけど)書き方が好きだ。

■11月某日
俳優遠藤憲一が好きだというと、
友人が貸してくれた『湯けむりスナイパー』のDVD全4巻。
仕事終わりに少しずつ少しずつ見ている。

数年前NHKの時代劇で見て、いいなあ、と思い、
ネットで検索したらVシネマを中心に活躍しておられる俳優さんであった。
声がいいから、CMや映画の広告のナレーションも多く手がけておられる。
この『湯けむりスナイパー』は深夜枠ながらドラマ初主演である。
めでたい!

深夜枠だし「湯けむり」というくらいだからエロティックなのはお約束としても、
近年のふやけたドラマにはない思い切った場面もあって、
見てるほうもはらはらどきどき。
はーどぼいるどでせくしい、でもなんともいえず、きゅーと。
やっぱ、私も買おかな、DVD。

■11月某日
髪を切りに表参道まで行く。

■11月某日
Twitterなるものを始める。
ブログにも貼付ける。
これでブログの表に2種類の時間が流れることになる。

Twitterでつぶやけるのは140字だから「構成」を考える余地がない。
それが一番の特徴である。
強調されているのはそれが単なる「つぶやき」であり、
聞かれることもあれば、聞かれないこともあるということ。
Mixiのような足跡もコメント欄もないから、
「読まれた証拠」も残らないかわり、
それがないことを嘆くことにもならない。
時間が流れてしまえば残っていかない言葉たち。
それは以前はネガティブであったが(ネット上でコメントされない
ことを悲観して追い込まれて犯罪を犯してしまった人もいた)
Twitterはそれを逆手にとっている。
削除はできるが編集はできないという構成も、
流れて行く時間を意識させる。

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November 15, 2009

構成力のもんだい


最近の若手のお笑いで構成力がまるでないのは見るに耐えない、と
松本人志がラジオで言っていたのを聞いたことがある。
「若い奴はもっと落語を聞くべきや」と。
なるほど、松本の「すべらない話」における構成力は、
落語で培われたものだったのか、とそのとき合点がいったのだった。

不必要なディテールを省いてテンポを早め、
オチの効果を最大限に高めるために、
聞き手に与える情報の順序を決めてたたみかけ、
それでも決してオチを予見させぬ。
意外性がなければ人は笑わない。


しかし、もちろんそのパターンだけが芸ではない。
笑福亭鶴瓶の話は「すべらない話」の対極にある。
ディテールこそが命であり、しかもそのディテールが必要なのか、
不必要なのか聞き手にはよく見えない。
おそらく本人もその場ではわかっていないのだろう。
時にはそのまま別の方向に行ってしまったりもする。
それなのにまとまり(オチではない)がつく。
(むろん、この上手さに関しては松本もおおいに認めるところだ)


先日、鶴瓶の古典落語を聞きにいった。

最初に立ったままマイクを持ってフリートーク。
次に中川家の漫才。

私は漫才を舞台で見たのは実は始めてだったのだが、
中川家にも鶴瓶のフリートークのような、
どこまでが決められた台本でどこからがそうでないディテールなのか
わからないスリルがあった。
寄席で培われた技術に違いない。
堪能した。

最後の古典落語はまくらなしのスタートである。
これはよかった。
最初のフリートークとの差が際立ったからだ。
「らくだ」も「愛宕山」も練りに練られた構成を持つ。
比較的動きの少ない「らくだ」、派手な動きのある「愛宕山」。
対比も見事であった。


だが、ちょっと私には「らくだ」の前半部分の屑屋が哀しすぎた。
哀愁にじむ人物をやらせたらピカ一の鶴瓶師匠だったからだろう。
力関係が逆転してからも、その哀しさを引きずってしまった感じがする。

帰って来て、DVDで米朝の「らくだ」を見た。
なるほど、けっこう暢気な屑屋に仕上がっていたが、
その分どんでん返しのインパクトは少ないように思った。

ナマモノの構成はなかなかに難しいことであるよ、
と思ったのだった。

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コクチ

コクチ。
こっぱずかしいので、カタカナです。

28日土曜日にピアノを弾きます。
私の腰を破壊した例のショパンのバラード一番です。
妹のお下がりの舞台用ドレス(妹の手製)を着ます。ははは。
お花などお気遣いは無用ですから、
お暇があれば笑いに来てやってください。

下にあるのはプログラムです。
第1部、第2部はおちびちゃんたち。
第3部は大人のアマチュア。
第4部は先生たち。

プログラムをクリックすれば大きくなります。

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November 05, 2009

日記(10月後半の出来事)

■10月某日
朝食のコーヒーを飲みながら、前に書いた解説文を校正して加筆。
がっちり構成を固めて書いたので、
一段落を加筆する場所を探すのが確かにちょいと面倒。
結局選んだ場所もあまり座りがよくないが、まあ他のところよりはましだ。
そのあと、栗原幸夫さんの『プロレタリア文学とその時代』を再読する。
この前『組曲虐殺』を見たばかりなので、タイミングよし。

そうこうしているうちにピンポーンと、
古本屋より中野重治全集が到着する。
全27巻。
おーおー、なんだか書く気分が盛り上がってきましたぞ。

午後からは新宿ピカデリーで「ヴィヨンの妻」を見る。

■10月某日
メモをとりつつ『プロレタリア文学とその時代』読み継ぐ。
午後は大学の図書館へ。
日曜日の図書館は学生が少なくていい。
田中英光全集を引っくり返した後、雑誌セクションに移動して、
ここ三ヶ月くらいの雑誌に目を通し、必要なものを片っ端からコピーする。

夕食はひよこ豆のカレー。
飴色玉ねぎ(ルクルーゼ鍋ならオーブンで簡単)に生姜、にんにく、
ターメリック、カイエンペッパー、コリアンダー、クミンをどさどさいれ、
ひよこ豆にトマト缶。
最後にガラムマサラを入れて煮込む。
うん、おいしいよ、自分。

■10月某日
明日から両親の実家である京北町に行くので、
荷物を作って、クロネコヤマトの集配所まで持って行く。
それから授業の準備。大学のお仕事。
残り物で昼食を済ませ、ご出勤である。

しばらく授業をしていなかったせいで、
一回やるとぐだぐだに疲れてしまう。いかんなあ。
帰って夕食を食べたら死に寝。

■10月某日
京北町へ移動する日。
昼食は丸ビルの中のとんかつ屋に入った。
カウンタ―に通されたのはまあいいとしよう。
一人だったからね。
でも、そのカウンタ―に食べ終わった食器がずっと残っている。
見ると、配膳係のおねえさんは暇そうにしているが、
自分も持ち場しか見ていない。
下ごしらえをしているおにいさんも、手元の豚肉しか見ていない。
そのうち、ホールの一人がお茶をつぎに来る。
片付けてくれるかなあ、と思って見ていると、
あら、素通りされてしまった。
そこそこのお値段設定の店なのに、接客ってことが根本的にわかっとらんな。
私の中の「おばちゃん」が苛々して来た。

「あの、これ片付けてもらえない?人の食べガラを見ながら
食事するのイヤだから。」

味はそこそこだったが、もう二度と来ることはないだろう。

■10月某日
京都の山奥は寒い。
フリースを持ってきて正解だった。
母の仕事部屋の一角にスペースをつくり、
電気ストーブを置いて自分のお仕事コーナーのできあがり。
毛布で下半身をぐるぐる巻きにして校正/加筆のお仕事にとりかかる。
しかし一角だけ暖かくしてしまうと、いらんお客がやってくる。
そうそれは。。。カメムシ。
強烈な青臭さを発するこの虫、気候のかげんか今年大量発生しているらしく、
例年より数が多い。
その名の如く比較的動作がのろくさいので、ガムテーブでびちゃっとひっつけて、
ぐるぐるっと巻いてしまう。
これが一番匂いが少ない。

一段落校正してはカメムシ退治。

■10月某日
朝、父に車で送ってもらい、9時15分のバスに母とともに乗り込む。
母は市街のギャラリーへ、私は関西学院大学で開かれている学会へ。
これが今回の帰郷のメインである。
11時に京都タワーの下のスタバでTと待ち合わせて、西宮へ向かう。

普段は私の母校のAmherst Collegeで日本近代文学を教えているT、
先月京都に来たばかりである。
年末までいるという。

どうよ、T、京都の生活は?と聞くと、
「うん、なんか変な感じ。」
変な?何が?
「来たことがない場所なのに、通りの名前とか知ってるから」

ああ、そうか。
アメリカの大学院でももちろん日本の古典は読まされる。
二条とか十条とかはおなじみの地名である。

「で、京都の人はなんで六条のこと言わないの?やっぱり僕らにとっては
四条や七条より六条だよ」
はははそうだねえ。六条の御息所は強烈なキャラクターだもんねえ。

確かに言われてみれば、バス停もなければ地下鉄にもその名はない。
今は幹線道路じゃなくてただの生活道路だからね。

そんな話をしながら関学へ。
Palo Altoを思わせるカリフォルニア風の作りのキャンパスをつっきっって会場入り。
「<複数>言語の明治」という題のシンポジュームである。
4つの発表の中ではロバート・キャンベル氏のものと馬場美佳氏のものが、
私にはおもしろかった。

キャンベルさんはただの博覧強記ではない、広い視野にたった博覧強記で、
まさに文献学的研究の理想型。スリリングな発表であった。
一方、馬場さんのおもしろさは、<複数>の捉え方それ自体にあった。
他のお三方の発表はどれも、目に見える形の複数言語の対比だったが、
馬場さんのものは、一つの言語に見えるものの中にある異言語の影を追った分析で、
まだこなれていないようにはみえたが、これから「<複数>言語」を考えていく上で、
強調されていい論点だと思えた。

ディスカッションの前に私は会場を出て東京に向かった。
なにしろ田舎からえっちらおっちらコンピューターを担いで
出て来たのでものすごーく疲れてしまったのだ。
おまけに会場にコンピューターを忘れて青くなって取りに戻るという
失態をやらかし、Tや会場であったASにあきれられたりして。

家に帰り着くと、私はへろへろ。
5日間水無しで家に閉じ込められていた鉢植えも、へろへろ。
明日はとにかく休養じゃ。

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October 31, 2009

また再びの・・・

私の文房具好きをご存知の方は、
「また文具ネタ?!」と思われることだろう。
ごめんなさい、また、です。

■文房具好きの方のブログなどを見ていると、細かい作業が得意な人が多い。
デザインセンスにも優れた方が多いように思う。

私は文房具は大好きで、それなりに言いたいことはあるのだが、
自慢じゃないが、性格が大雑把。
恒常的に手元不如意で、落とすわ、壊すわ、倒すわ。
細かい手仕事が苦手で、線もまっすぐ引けないし、紙もまっすぐ貼れない。
デザインセンスはまるでない。(ついでに運動神経もない)
一度など、主宰した研究会のチラシを自分で制作したところ、
学生に「そば屋のお品書きですか」と酷評された。
(まだ覚えてるよ、S大学でIゼミだったTくん)

だから文房具を選ぶときの基準として大切なのは、
まず、私が粗雑に扱っても壊れないくらい頑丈であること。
そして、私が使ってもそれなりに美しい結果が出ること。
こういう文房具がまた、デザインがよかったりするから、
不思議なものだ。

■でっかい鞄の中にじかに放り込まれたくらいでキャップが取れちゃったりする
ボールペンなどはもちろんだめ。
イタリアものなどは色がキレイなので、心惹かれるのだが、
けっこう高い物でもすぐ壊れたりする。
私の筆記具にドイツものが多いのは、そういう理由かもしれない。
モンブランのマイスターシュテックなんか、
私が今持ってるアクセサリーのどれよりも高いが、
その代り頑丈この上ない。
まともにメンテなんかしないのに、である。

ペンで言うと、女性向けと称して万年筆専門店などで売っている細身のペン。
あれもすぐ落っことすので、だめ。
ぎゅっと握って、がしゃがしゃメモをするため、
太い軸がどうしても必要である。

■ノートは方眼が好きである。
無地は論文の見取り図などを図にするときに使う、
ニーモシネの一冊のみであとは方眼に徹している。
大雑把に書いてもそれなりにキレイに見えるからである。
切るときも、いちいち測ったりしなくていいし。

方眼でかつ頑丈とくれば、モールスキンのスクエアドに勝るものなし。
一つの研究プロジェクトに3年は最低でもかかるから、この間、
カバーなんかかけずに鞄から頻繁に出し入れされ、
時には図書館の書架に、ばんっ、と置かれたりするような扱いに
耐えられる造りが必要である。

■のりは小学校時代から相性が悪かった。
量が多すぎてぼよぼよになったり、あっちこっちに張り付いたり。
手について乾いて皮みたいになるのも嫌だった。
テープ式ののりを使ったときの感動は忘れられない。
私でもキレイに貼れるじゃないか!

■削りかすが散らからない小さな鉛筆削り、
折った刃が外に出ないカッターの刃折り、
貼っただけで分類できる付箋のインデックス、
再生紙でもひっかからない2Bの鉛筆芯、
決まった形で日付を入れて統一性をだしてくれる事務用の日付スタンプ。

どれも今の私になくてはならない、
不器用でがさつな人間のための文房具である。
『ぶきっちょさんのための文房具』なんて本があったら
すぐに買うのにな。

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October 29, 2009

日記(10月の覚え書)

■10月某日
何度目かのブルーベリージャム作り。
冷凍しておいた実家のブルーベリー200グラム。
砂糖は甜菜糖で70グラム。
レモン汁適当。
ポテトマッシャーでこれまた適当に潰して火にかける。
あくを取りながら煮る。
煮過ぎると香りが飛ぶので、まだブルーベリーシロップだね、
くらいの緩さで火を止める。
これがおいしかった。冷凍したせいで皮からあくが抜けて、
香り高く仕上がった。これからブルーベリージャムは冷凍だな。

■10月某日
昼過ぎにリーガロイヤルで打ち合わせと称してお茶する。
研究室に帰ってまだ積み上げてある段ボールを整理する。
まだあと何箱あるんだよー。もうやだー。

6時から大学で会議。
会議弁当をいただきながら3時間かかりました。

■10月某日
なんかこのところ気分が落ち込んでいる。
自分では仕事がはかどらないせいか、と思っていたのだが、
同僚に「更年期の始まりじゃない?」と言われた。
そっか、そうかもな、と思い当たり、
そろそろサプリメントなぞ始めるか、と思う。

マイミクのおねいさま方によればセントジョーンズワートという
ハーブのサプリが利くらしいので、とりあえず一瓶購入。
まだ飲み始めてはいないけど。

また一つお仕事を断る。小さなものだが学会関連のお仕事だ。
なんかどんどん学会から遠ざかっていくなあ、私。

■10月某日
モデムの調子悪し。つながらない。ネットにつながらない。
もう気が狂いそうである。
半べそかいてヤフーのおねーさんに電話。
結局モデムを交換することになった。
それまでメールは携帯で見るしかない。
どうしても返信しなきゃならないものには、
大学まででかけていって返信する。

レタスと水菜ののりサラダ、さつまいものきんぴら、出しガラ昆布の佃煮、
雑穀いり玄米のご飯、かぼちゃと玉ねぎのみそ汁で、
ベジテリアンのお昼ご飯。
これで高脂血症なのよ、笑うでしょ。

■10月某日
中野重治の伝記を数冊読む。
頭はいい人で、フィクサーとしての能力に長けている。
小説それ自体に私はあまり魅力を感じないが、
執拗に自分の書き物に自己言及をする人で、
そこのところは私が密かにおもしろしと思っている部分である。
私が中野についてどう書くかはまだまったく見えてこない。

なんとなく集中できないので、外に出て、
東京理科大近くのスタバで読み続ける。

晩ご飯は、最近凝ってるひよこ豆料理、ファラフェル。
蒸したキャベツにドレッシングを合えたものをつけ合わせたら、
もうお肉なんかいらない。

■10月某日
久しぶりに演劇鑑賞。るんるん。井上ひさし「組曲『虐殺』」@銀河劇場。
小林多喜二役に井上芳雄、この人の歌唱力は前の作品で確認済みなので、
安心して聴いていられる。
多喜二の恋人役に石原さとみ。お人形さんのように可愛く、
演技も拙いがそれが魅力という役どころである。
井上芝居にはかならず笑いで緊張感を抜く役が用意されていて、
梅沢昌代さんのような芸達者がそこを担っているのだが、
今回はそこを高畑淳子が、抜群の安定感と存在感、
笑いの間も人生のツボも心得た芸と技で演じ切っている。
陰の主役はでずっぱりの小曽根真で、役者たちとの息もぴったりである。

役者は優秀、脚本も演出もレベルは高い。
喜劇的要素と悲劇的要素の塩梅もいつもながら上手である。
細部も勉強になった。

でも。
でも。
肝心のところでものすごくずれているという感じは否めない。
小林多喜二の情熱が、正しいチャネルを通って、正しく発露されているのだ、
という確信はいったいどこからやって来るのか。

ここで描かれる多喜二には自分の敵(国家権力!)が明瞭に見えており、
それと闘う方法すら恐るべきシステマティックさで事前に整備されている。
(ハウスキーパー制度然り、ビラまき然り、文学然りーー)
敵が既に主体化されているから、闘う主体化がなんなく成立してしまっている。

私は秋葉原の彼を思いだしていた。
彼に敵の姿は見えていなかったはずなのだ。
むろんそれは彼が頭が悪いからではない。
敵の名指しにくさと彼の犯行の形態は間違いなく関連している。
ところがこの芝居には「敵の名指しにくさ」などははなから存在していない。
そのことこそがもしかしたら最大の敵なのかもしれないのに。

「組曲虐殺」の多喜二は周りの人たちのみならず、敵からも愛される人である。
もうこの段階で「認知」の問題はクリアしてしまっている。
マイノリティを言い立ててアイデンティティを立てることも、
敵を作って抵抗する主体のアイデンティティを立てることもできないから、
「認知」されない暗闇に沈んでしまう。
その状況に対してはこの作品はなにも言っていない、
言おうとしていないと思うのである。
今なぜ小林多喜二?と問うとき、それでいいのだろうか、
と思うのである。

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October 26, 2009

「ヴィヨンの妻」をふたつ


友人を誘って公開中の映画「ヴィヨンの妻」に行く。

画面は一見しゃれたフランス映画のようでもあり、
細部までよく作られ過ぎたためにむしろ平成の匂いがする、
人工的な「昭和」である。
(私は横浜のラーメン博物館を思いだした)

前半部分のセリフは極めて原作のセリフ部分に忠実に作られている。
ただ原作は妻の「私語り」なので、いわば実際に発話されているセリフ
(小説で言うと主にカギかっこ部分)以外にこころの声があり、
むしろそれが中心なのだが、
映画は「私語り」方式になっていないため、
会話部分しか再現されていない。
つまり「こころの声」の部分は役者の演技でまかなわなければならないことになるが、
松たか子はさすがにそのへん堂にいっていて、
細かい表情の変化が雄弁で退屈させない。

一カ所だけ「私ってお金になるのね」という原作にないセリフが入っていた。
「椿屋のさっちゃん」として居酒屋で働き始めた妻が、
初めて自分で稼いだ現金を手にしてこう言うのである。
私は自分が書いた「ヴィヨンの妻」論でこの場面を強調したので、
「なかなかわかってるやん」などと悦に入っていた。

さて、太宰の分身とされる夫の「大谷」だが、
どなたかが新聞の評で「夫」である大谷があまり魅力的でない、と評しておられた。
だが、私はそうでもないと思った。
  ①仕事ができて
  ②それでもおごらず
  ③むしろ苦しげで
  ④妙に素直に女に頼るところもあり
  ⑤人と交際するのが実は苦手で
  ⑥他人を怖がりつつ無謀なことをしてみたりして
  ⑦それでいて他人の評判を気にする気弱なところもある
と属性を列挙してみるとけっこうツボの男ではないのか?!と思ったりして。
それともこれって単に私の趣味か?


もう一つの「ヴィヨンの妻」は、
NHKアナウンサー山根基世さんの朗読されたCDである。
友人が絶賛していたので借りてきたのだが、
知性と訓練に裏打ちされた朗読、感情を必要以上に表に出さないところなど、
原作と非常に合っていて美しい。
耳で聴いていると読んだときには気づかなかった言い回しなどにも気づかされ、
あらためて、太宰の中では秀逸な小説だなあ、と思い返したことであった。

小説の朗読は好きでiPodに入れて聴いたりしているが、
声自体に安定感があってずっと聴いていたいと思う人は少ない。
変に特徴のある声も、読み手の身体ばかり脳裏に浮かんでだめである。
感情をむやみにこめられたら邪魔だし、
役者の技術を競うように読まれてもうっとおしい。

山根さんんはアナウンサーであって役者ではない。
あくまで、主役は小説、自分は透明な媒介、
という思いがおありなのだろうと思う。
その控えめな決心が快い。
考えてみれば日々のニュースの主役はコンテンツであるから、
ニュースを伝える人間の突出した個性はむしろ邪魔である。
よく考えてみれば当たり前のことだが、あまり気にかけてはいなかった、
アナウンサーという職業のプロ意識を見た気がした。

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October 11, 2009

日記(9月から10月へ)

■9月某日
赤ワインが余ったので、りんごのコンポートを作る。
切って鍋に並べて、少し多めの砂糖と赤ワイン、レモン汁を適当に入れ、
干しプルーンとシナモンスティックとクローブを一粒。
軟らかくなるまで煮て、そのまま鍋で冷ます。

仕事はスパイスとりんごの甘酸っぱい匂いが立ちこめる台所で。

■9月某日
大学時代の友人と夕食。
彼の会社に私の所属学部の学生が採用になったのだ、という。
大企業なら特に驚きはしないけれど、彼の会社はそうではない。
妙な縁だ。学生も吃驚したことだろうと思う。

20前後だった私と彼は、これからどういう人生を送りたいかということを、
飽きもせずに延々と語り合っていた。
30歳までとにかく死にものぐるいで生きよう、
などという若い気負いに満ちた約束を交わしたりしたものだ。

もうその約束の期限からも15年が経っている。
私の30歳までの日々が「死にものぐるい」という言葉にふさわしいものであったものかどうか。
別にそうであったとしても、そうでなかったとしても、
それはそれでよい、と思えるくらい年数を重ねてきてしまった。
いろいろと時間を数えた夜だった。

■9月某日
里芋と干し椎茸の炊き込みご飯を玄米で作る。
オクラはさっと茹でて梅肉と醤油であえておかかをふった。
みそ汁はちゃんと出汁をとって作った。豆腐と小松菜。
ひじきはお精進で、人参と椎茸。
心の調子が悪いときは丁寧にご飯を作るのが習い性になっている。

『近代日本文学の批評』を読み返す。
戦後の批評には「文学」の自明性が問われていないことがしきりに問題にされている。
90年代にはそのことだけを言っていればよかったのだな。

■9月某日
今日は朝から乳がん検診。手際よくいろんな検査を流れ作業的に受け、
正味は一時間ほど居ただけだったのに、他人に体をいじり回されるのはけっこう疲れるもので。
で、帰ってみると、同僚より会議に出られないと連絡が入っている。
何度も確認のメール入れた私の努力がまったく報われなかったことを知って、
ふたたびぐったり。

気を取り直して、明日の授業の確認。
初めてパワポなるものを使うのである。
もともと機械オンチ、というより、機械恐怖症のうえ、
ソクラテスメソッドを得意とする私の授業形態となじまないという
格好の言い訳もあったので今まで使ったことはなかった。

だいたい事前にああいうものが機械の上に映し出されていると、
ライブ感が失われてしまう。
教室に坐っている学生たちの、テクストへの感触を言語化させつつ、
それを組み込んで私の流れを作っていくのが、腕の見せ所だ。

そう思っていたのだけれども、大学院の授業では、
ライブ感を維持することの方が疲れることがよくわかったので、
限定的に方針転換をしてみたのである。
ソクラテスメソッドは、クラスに最低2割はお調子者がいないと成立しない。

で、教室に行くまでもいろいろ確認したりして落ち着かない。
案の定、もらった鍵で戸棚の鍵を開けたとたん危機が訪れた。
PC、どこにあんねん?
少しでも戸惑ったらサポートを呼ぼうと思って番号を控えてあったので、
さっそくサポートセンターに電話しておねいさんに来てもらった。
先生、これがPCなんですよ。
へ?これが?
てな会話が交わされ、おねいさんの指示のもと、
なんとか授業を始めることができた。

学生のみなさん、
たどたどしててごめんね。

■10月某日
昨日の夜は珍しくお客さんがたくさん拙宅にいらしたので、
うちにもその余韻が残っていて、なんとなくざわざわしているようだ。
ワイングラスを片付けて、大皿を戸棚にしまい、
一年に一度の宴は終了。

いらしたのはみな、大学の職員の方々。
数年前、大仕事を一緒にした仲間たちである。
もうその仕事のことを覚えている人とて少ないだろうが、
私は忘れない。
大学という機関についてこれほど考えた時間はなかったからだ。

余韻のせいか、なんとなく酒が飲みたくなって、
珍しく残っていた赤ワインを一人で開けた。
パーティの残りものをつまみに、小説を読んだ。

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October 01, 2009

日記(8月後半から9月へ)

■8月後半
9月からの授業準備をする。
数年ぶりに「翻訳論」。ただし今度は大学院である。
しばらく遠ざかっていた間に、欧米の翻訳学関連の日本語翻訳が増えているので、
私のブックリストもちょっと更新が必要になっている。
だからノートもちゃんと作る。

今回はいつものモールスキンではなくMDノート。
ビニールカバーなので自分の好きな紙で表紙を作れるのが気にいってる。
こーゆーことでもしないと、授業準備のモチベーションがあがらん。
学生の顔見れば、またテンションも上がってくんだろうけど。

■8月後半
授業準備、だらだらと進める。
もともとない集中力がすぐ切れて、
途中で京北町の実家から送ってきたブルーベリーで、
ジャムを作る。
んでまた、仕事に戻る。
気がつくとネットで文房具を探している。
いかん、いかん。

あ、でも、信頼文具舗の和田さんが新しい本を出しておられる。
買わねば。

和田哲哉著『文具の足し算』を予約ついでに、ペンやらノートやらをまた購入。

■9月前半
思考が明晰になる、というから、ここしばらく動物性の物を控えている。
だけど、なんとなくずっと空腹、力も入らぬ。
思考は明晰になるどころか、食の煩悩で今にもはじけそうである。
結局、夜、ふらふらと神楽坂へ。
お気に入りの蕎麦やにて蕎麦をすする。
まだ早い時刻とて、お店は私一人の貸し切り状態。
雇われ店員のおばさんは手持ち無沙汰に空をにらみ、
遊び好きらしきおやじは裏ぐちからこそっと外へ脱出した模様。
でもごちそうさま、蕎麦はいつも通りおいしかったよん。

■9月中旬
今日は昼からピアノのレッスンなので、朝は溜まっていた雑用をこなし、
11月の発表会で弾くショパンのバラードの一番を見ていただく。
このおかげで腰を痛めてしまったのは前のエントリーの通り。
まだうまく力が抜けず、力み過ぎで最後まで持たない。
だがこの最後が華やかで、弾き手の技術の見せ所だが、
私のバラードはそこが一番へなへな。
11月までになんとかなるのか…不安だ…

帰りに隣のサボテンで動物性タンパク質に脂質たっぷりの、
カツサンドを購入して帰宅。

■9月中旬
Erich AuerbachのMimesisは、私がアメリカでの院生時代で初めて感銘を受けた、
テクスト批評の本である。

小説の一節を原語で引用し、そこに長い翻訳をつけ、
さらにその場面の文脈がわかるよう、適切な要約をつけていく。
その一つの場面から、構造全体を取り出す鮮やかな手つき。
取り出した構造を長いヨーロッパの文学の歴史の中に的確に位置づけてみせる手際よさ。

1990年の段階ですでにこの著作は流行遅れとされていたように思う。
アクロバティックな脱構築や難解な用語が飛び交う精神分析が、
文学研究を席巻していた時期だったからだ。
だが、今読んでもこの批評が古びているとは思えない。
私は時を忘れて読み進み、昔の私がつけた鉛筆のアンダーラインの上から、
真っ赤に赤鉛筆のラインを引いた。

■9月中旬
「少々無理してでも来た仕事は全部引き受けろ」と昔、師匠は言った。
まったく同じことを父も言った。
「断ってたら仕事がこんようになるぞ」とも言われた。
そうかもしれない。
でも、自分の能力の限界がわかってきた今は、
責任持てないものは断るしかない。

今年二つ目のお仕事をお断りする。
自分は師匠ほど頭も廻らないし、父ほど早く書けない。
人より遅れて遅れて物事が頭に定着するタイプである。
(20年前大学院で学んだことがようやく今になって理解でき始めた、
という遅さ!)
自分でもうんざりするが、仕方がない。
今、この20年間で書いたものに、理論的な道筋をつけようとしていて、
その仕事だけで私のちっこい脳みそはいっぱいいっぱい、
「グローバリゼーション」についても、
「内田百閒」についても、新たに実のあるものは書けそうもない。
ごめんなさい。

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September 06, 2009

「花と兵隊」を観る


第二次大戦後のアジアでの未帰還兵、とくれば、
真っ先に思い浮かぶのは「ビルマの竪琴」だろう。
子供のころはなんの疑いもなく読んだ「学校推薦図書」だったが、
日本語戦後文学研究者になって読み返すと、これがまた、
なんとも後味の悪い小説である。

子供向けに書かれているとはいえ、いやむしろ子供向けだからこそ、
偏見に満ちた紋切り型やご都合主義が露骨に現れる。
作者竹山道雄が従軍経験がないとか、ビルマを実際に訪れたことがない、
というのは、この小説の問題点としてよく指摘されることだが、
小説にとってはそうした作者の経験の欠如は、実のところ重要な問題ではない。
夏目漱石が猫になったことがないからといって、
『吾輩は猫である』の文学的価値は下がらないのである。

問題はむしろ、僧になって日本の死者だけを選択的に弔うという主人公を、
圧倒的に正しい存在として描き出す、その筆使いである。
主人公水島は、日本という地と決別してビルマ人の僧となることを決意した、
と一方で言いながら、その実、その選択的行為によって日本兵であり続ける。
ビルマ人の僧形をしたそのような日本兵は、現地と深い関わりを持ちようがない。
しかし、遠い異国に残る主人公の決心は、
「はにゅうの宿」のメロディーにのせてドラマチックに演出されることによって、
英雄的行為として手放しで称揚される。
そしてそのことの是非はおそらく今でも問われないままである。


未帰還兵へのインタビューによるドキュメンタリー映画、「花と兵隊」。
(渋谷イメージフォーラムにて公開)

ビルマ人と敵対する山岳民族カレン族に保護された人。
堪能な中国語で中国人コミュニティで暮らした人。
車両整備の会社を起こして後にトヨタのアジア進出の一翼を担った人。
ポンプの技術を生かして現地の農業に貢献した人。
さまざまな土地を巡り日本兵の遺体を集めて埋葬した人。

この多様性は、それぞれの人が持っていた技術や運、
性格などによって生み出されている。
そしてどの人も「異国に残る大きな決心」などしていない。
人生の中で小さな選択を次々に重ねていった結果、
ここに流れつき、そこに受け入れられ、共生してきた人ばかりである。
餅つきのような小さな日本の習慣が、村の人々に受け入れられているさま、
家族を伴った日本人同士が現地語で会話するさま。

「そう、暮らすってそういうことなんだよな」


撮ったのは若い青年監督である。
彼は、無造作に画像の中に映り込む。
画面の中の彼は、自分が聞いている話が一体どこへ向かうのか見当もつかない。
戸惑いを無防備にさらしている。
だがそれゆえに、彼には決まった地点へ話を持っていこうとする気負いが感じられない。
それが私には快かった。
どこまでも相手のことばに身を委ねて行き着く先を見定めようとしているように見えた。

もちろん、戦争の激戦地での話であるから、暗い闇も見え隠れする。
だがそれにもこの青年監督は臆することもなく、かといって、
そこをセンセーショナルに取り上げることもなく、
相手の今の生活とその闇を公平に塩梅しようとしている。

「そうだね、相手の話を聞くってそういうことだよね」


インタビュアーの中で最もフィルムが使われていたのは、
100歳近いブラジル移民だったという元日本兵の老爺であった。
一度も離れたことがないというカレン族の奥さんと、
多くの子供、孫、ひ孫、そして無償で家を提供しているという、
避難民の家族たちに囲まれて、彼の顔は穏やかだった。

彼が奥さんと一緒に自分の墓の場所を決めに行く場面がある。
眺めがいいその場所を死後の住処に決めた彼のことばが忘れられない。
ここなら、お前達がいる村が見えて、その向うに日本があって、
その向うにブラジルがある。
みんな一つの円の中にあるんだ、だからここがいい。

「そうだね、そんな風に考えると、いいね」


テーマは同じでも、「花と兵隊」は「ビルマの竪琴」の対極にある。
重苦しい映画だろうと思っていたのに、
私はほとんと清々しいような気持ちで夜の渋谷に出た。

青年監督の師である今村昌平監督が撮った未帰還兵のドキュメンタリーがあるという。
続けてみてみようか、と思う。

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August 25, 2009

ショパンと腰痛

自分のキャパシティを超えたことをやろうとすると、
カラダにつけがまわって来る。
これこそが年をとるということである。

私がショパンのバラードを弾いていたのは、
花も恥じらうセヴンティーンの頃、
化粧するでもなく、イヤリング一つつけるでもなく、
親の言いつけどおり3時間も4時間も真面目にピアノをさらって、
確かに集中力を維持するのはなかなか大変ではあったけれど、
カラダの方には何一つ異変は起こらなかった。

あれから30年近くたってピアノを再開して3年あまり、
ようやく指も多少滑らかさを取り戻し、気持ちもほぐれてきて、
ちょっと難易度の高い曲をやってみようか 、あの頃は弾けたんだからさ、
などと色気を出したのが運の尽き。

もちろん、いまは別の本業がある身、一日に3時間4時間も弾いたわけじゃない。
せいぜい1時間、それも一日のあっちこっちの時間をかき集めて
それくらいである。

それなのに。
練習を始めて3週間たったころ、まず右アシの付け根に痛み。
ついで左のコシに痛み。ビテイコツにも痛み。

ショパンはペダルを多用する。
それも私程度の素人技術でも、
3段階くらいは異なる力配分の踏み込みを必要とする。
右コシの痛みはそれが原因だ。右をかばうから左もおかしくなる。
もともと西洋人男性の手の大きさを基準にした楽器。
骨格の貧相なアジア女は技術と格闘しようとして前のめりになってしまう。
嗚呼かわいそうな私のコシ!

たまらず整体師氏のところへ駆け込んだ。
治療台の上で、私のカラダはへしゃげた蛙のようにされ、
「ヨガやってる人がなんでこんなに骨盤ずらすの」
という整体師氏のあきれ声を聞く。

「だいたい姿勢が悪すぎ」「これが本来あるべき姿勢」
ぐぐっとカタを開かれ、セボネに整体師氏の膝がめり込む。
でも一時間半の治療が終ったときには、コシはかるーくなっていた。

もっともまだ無理はできない。
今はペダルを使わずもっぱらタッチの明晰さを出す練習にいそしんでいる。
どうやら私は、不用意な屈伸にすぐ異議申し立てをするこの厄介なコシに、
もう少しつきあわねばならぬようである。

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August 20, 2009


私は空港に向かっている。
この飛行機を逃すと日本に帰れない。絶対乗るのだ、と思っている。
それなのに、私は出発時刻を正確に知らない。
ただ遅れそうだ、ということだけ知っている。

周りの人々は優しく、暖かく、私を送る会を催してくれている。
なのに、私は出発の時間が気になって気になって、
ちゃんと彼らに応対することができない。

ごめんなさい、ごめんなさい、こんなにしていただいたのに、
と呟きながら、それでも私は空港を目指す。
空港に行くには私が普段は通らない猥雑な町並みを
通りすぎていかなければならない。
品物を積み上げた市場の細い路地は、嗅いだことのないような、
複雑なスパイスの香りがし、狭い階段にはモノが溢れ、
肌の色の違う男達が私をじろじろ見ている。

ごめんなさい、ごめんなさい、
私は日本に帰らなければならないの、
どうしてもあの飛行機に乗らなければならないの、
ごめんなさい、ごめんなさい。。。
私は東洋人の人形のようにぺこぺこ頭を下げながら、
卑屈な愛想笑いを浮べて、先を急ぐ。

空港は、恐ろしいほど近未来的で、
銀色に輝く、上が見えないほど長いエスカレーターを
上がっていかなければならない。
一列に並んで横を開けるなどというルールを持たない人々を、
右へ左へ掻き分けて、ああ、遅れる、遅れる、と
私は動かない足を引きずってどこかを目指す。

待って、待って、置いてかないで。
私はそれに乗らないと日本に帰れないんです。

涙で喉がきゅっとなって、目が覚めた。

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August 15, 2009

書けない

不思議なもので、だらだらと日常を書き綴っただけの日記でも、
こころに余裕がないときは筆が進まないのである。
なにかにとらわれているときは決まって、
自分の一日を人さまに知らせてなんになる、などと自嘲の心境に陥り、
いまや日記が書けるか書けないかが自分の(体調ならぬ)心調の
バロメーターともなっている。
なにしろもともと内容がないことを書いているので、
書くことそれ自体がおもしろくないときは、当たり前だが書けない。

夏目漱石の「文鳥」を読んだ。これが凄い。
見事になんの内容もない。
しかし、「た」「た」「た」と連なる短い文が、
独特の間を作り、ユーモアを生み出し、ペーソスを生み出し、
「描写」というものの真髄を見せつける。
漱石先生ありがとう。
なんだか少し元気が出て来たよ。

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July 29, 2009

日記(7月なかば)

■7月 快晴
もともと寝付きが悪い方ではないが、最近は寝る前のヨガが利いているのか、
こてんと寝て、比較的すっと起きられる。
ただ、朝は体がガチガチに固まっている。
背中は板を入れているかのようだ。
去年はこんなことはなかったのに。
あーあ、年やなあ。ヨガがんばろ。

冬のカーペットをようやくクリーニングに持っていく。
雨続きで持っていけなかったのである。
でもあっちい。

お昼は海老のチリソースをつくり、
セロリ、トマト、タマネギ、コーンを入れたレンズ豆のサラダを添える。

■7月 快晴続く
このところ書き仕事はお休みで、書くためのネタ準備をしている。
本日は久々の食いしん坊お食事会なのでお昼は軽め。
するすると素麺をすすりつつ、
ネットでかき集められる限りの文献情報を集める。

午後の読み仕事は少し早めに終え、
待ち合わせは青山の「椿」である。

松の実の粥から始まり、いちじくの上にまろやかな味噌だれをかけて焼いたもの、
新ぎんなんの入った稚鮎の南蛮漬け。
お酒は濁り酒のスパークリング。
濁り酒の味は大好きなので、下戸ながら少しずついただく。
もちろん、季節の鮎の塩焼き。
猿のこしかけか、と見まごうばかりの巨大松茸は、
鱧と一緒に。ふじみなのおひたし。
〆は一番のお目当て、鮎ご飯。

満腹、満足。

■7月 くもり
よく寝ているはずなのに、お肌の調子がよろしくない。
なんだ、この目のふちのブツブツは。
年を意識させられることの多い昨今である。

さっそく薬屋でビタミンのサプリメントを買い、
スーパーでトマトジュースを買う。

夜は会議だったので、夕食は会議弁当。
決して味が悪いわけではないけど、
これから会議が始まるときにおいしく食事が取れるはずもない。
そんな風にしか消費されない料理は本当に気の毒だ。

■7月 曇りのち雨
久しぶりに朝のヨガクラスを入れた。
インストラクターの方々は決してみなほっそりしておられるわけではない。
だが、筋肉のひきしまった、それでいて脂肪が残った、
実に魅力的な肢体をお持ちである。
それぞれに年を重ねて、それが皮膚の表面を薄く覆ってはいるものの、
その下にはしなやかな筋肉が透けて見える。
皮膚だけをピンと張るようなアンチ・エイジングをやるより、
こっちの方が私には魅力的に思える。

午後は友人が来て、資料を机に積み重ねつつ、研究会をやる。
普段、あまり家に人を呼ぶことはないのだが、
必要な資料がすぐある場所で、ネットが使える、となると、
我が家しかない。

二人ともサバティカル中なので、研究の話が思う存分できるのがよい。
大学の仕事をしていると、顔を見合わせても組織の愚痴や、
学生や授業に関する個別のことを話してしまって、
なかなか研究の方にギアが変えられなかったりする。
つまるところ、どちらも器用ではないのだな。

■7月 また雨
ディルを買って、その残りがあるので、
キュウリとセロリとハムのディルサラダを大量に作る。
一日、なんとなく集中できず。

しょうがないので、
ぼんやりiPodで小説の朗読を聞きながら、
資料を整理したり、年表を作ったり、頭を使わない仕事をする。

■7月 晴れ
お昼からライブに行くので、朝は早めに起きて資料読み。
ライブハウスにもランチメニューはあるようだが、
そこで食べるのはちょっと嫌なので、
11時ごろにLifeレシピのスパゲティ・ナポリタンを作って食す。

さて、赤坂。
クラシック専門のライブハウスである。
寡聞にしてそんなものが存在するとはまったく知らず。
20人入るかどうか、というサイズ。
マイミクの歌手戸田昭子さんが、ダンナさんとお子さんで作っておられるユニット、
「リム」のコンサートである。
そこに、テルミンなる楽器の演奏が加わる。

これまた寡聞にしてそんな楽器が存在するとはまったく知らず。
空中で優雅に手を動かす演奏者の三毛子さんを見て、
弦がそこに張ってあるのかと思いきや、
世界初の電子楽器なのだそうな。

Wikiによれば、
「テルミンの音程を生成する部分にはコルピッツ発振回路のようなコンデンサをもつ高周波の発振回路が2つ組み込まれ、これらはわずかに違う周波数を持つよう調整される。これらの発振回路の出力を組み合わせ、それが発生する低周波の可聴域のうなりを音に変換するのがテルミンの原理である。一方の発振回路のコンデンサ部分はアンテナの1本に接続されており、アンテナに手をかざして手とアンテナとの間の距離を変えると、静電容量が変化して発振周波数が変わる。これにより、うなりの周波数も変化して音程も変わることになる。もう一方のアンテナによる音量の変化も、同様に2つの発振器と静電容量変化により発振周波数が変わることを利用している。」
のだそうです。だから演奏者の手が動いている空間に弦は無いのだった。

こーんな形

「リム」の良さは、前のエントリーで書いた通りだが、
あまりうまく書けていないなあ、と自分でも思う。
「家族」ってことがポイントじゃないのだ。
それがちゃんと出ていない。

たるい書き手だな、私。

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July 26, 2009

楽器の愉しみ方


パリにお住まいの音楽一家の演奏会に行く。

演奏会といっても小さなクラシック音楽専門のライブハウスである。
そんなものがあること自体、私は知らなかったのだが、
入っても20人強というライブハウスで、
飲み物や食べ物をいただきつつ生演奏を聞くというスタイルである。
日本でクラシックと言えば、
コンサートホールの狭い座席でしゃっちょこばって聞くスタイルしか
知らなかった私にこれは新鮮だった。

もっとも演奏は「雑歌屋」というお名前にふさわしく、
クラシック以外にもジャズナンバーあり、シャンソンあり、ミュージカルあり。
日本の暑さにグロッキー気味のクラリネット担当の息子くんと、
ピアニストのだんなさん。
だが家族でステージに立つというのはやはり格別の思いがあろうし、
見ている方はその幸せのお裾分けをいただいた感じである。


人が集まるとなんとなくそこに楽器があり、音楽が始まる。
そんな音楽の楽しみ方を、私は長い間知らなかったような気がする。

私の子供の頃の愛読書に福音館書店の「大きな森の小さな家」シリーズがあった。
アメリカの開拓者の娘ローラ・インガルス・ワイルダーが、
自らの体験を詳細に綴ったもので、馬車で移動し、
土地を開墾し、丸太で家を建て、そこで家族だけで暮らす。

後にテレビドラマ化され、
レーガン保守政権の家族イデオロギー宣伝に使用されたため、
なんだか妙な具合に敬遠することになってしまったが、
私がアメリカという国の歴史的な理解を重要な部分で
下支えしてくれた書物には変わりない。

開拓地の、娯楽といって何も無い場所で、
夜になるとお父さんが持ち出すのはヴァイオリン。
たまに隣人が集まると、そこでもヴァイオリンが鳴り、
ダンスが始まる。人々は歌い始める。


我が実家でもピアノがあったし、チェロもあった。
我々姉妹は他の家庭よりはるかに音楽に近かったと思うが、
娯楽のために楽器を奏でるということは皆無だった。
ときどきお客様があると、ピアノを弾かされたりもしたが、
それは親の娘自慢のためであって、
客はうまくもない演奏をそれこそしゃっちょこばって
聞かされるのであるし、弾いてる方もまあおもしろくない。

アメリカで暮らしているとき、たまたま友人のボーイフレンドが
ピアノ弾きだったことがあった。
部屋にはピアノがあり、私はそれを弾かせてもらったり、
彼の伴奏で歌わせてもらったりしていた。
あれは楽しかった。
生の楽器の音を、生活の一部にする楽しみ。
上手く弾くことを要求されない楽しみ。
聞き手は耳を澄ませて聞く必要なんかないのである。
料理しながら、掃除をしながら、おしゃべりしながら、
体で音を受け止めればよい。


楽器の音色がいつもいつも家の中に溢れているおうち。その幸福。
そりゃ音楽一家であることの苦労や苦悩もあるのだろうと一方では思いながら、
そんなことをこもごも考えた。

こういう楽器の楽しみ方、今からでも学び直せるだろうか。

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