ブログの効用
このところ忙しくて日記以外にまとまった文章が
書けていませんでした。今回はリハビリ。
▲先週、「早稲田ウィークリー」に私の書いた記事が掲載され、さすがに効果絶大、アクセス・カウンターが一気に倍近く跳ね上がりました。「うほほ」と思っていたら、どうやらほとんどが一回きりのお客様で、今週になったらまた元どおりとなり、少しがっかり。「ま、こういう浮動読者を引きつける魅力が私の文章になかったってことだな」と結論づけて、私の「早稲田ウィークリー」フィーバーは終わったわけですが、書き手である私自身にとってのブログの効用とはどんなものなんだろうか、とも考えます。
▲「ウィークリー」では、このブログを自分の「文章修行」と呼んでみたのですが、それがもちろん第一の効用。でも唯一の効用ではない。
▲私が気づいたもう一つの大きなメリットは、ブログを通じて遠い場所にいる友人に私の近況を知らせることができる、というものです。もともと私は、ささいな日常のできごとを、自分の好きな人たちと共有したい気持ちがとてもありました。ちょっとした感想や感情、意見の種、思いつき、そんなものを「ねえねえ・・・」と伝えたくて仕方がない。根本的にガキなのかもしれません。しかし、オトナの現実では、日々顔をあわせていたとしてもそれはできないし、また友人たちのほとんどが物理的に遠いところにいる。私の「ねえねえ」を共有してもらうことで、実際に顔を合わせているときの時間を濃密にすることができるのではないか、と思っています。
▲そしてこの効用は、おそらく授業にも応用できるでしょう。今基礎演習を履修している学生たちに、このブログを定期的にのぞいてもらうようにお願いしていますが、それは週に一時間半の授業だけではカバーしきれない内容を伝えるというだけでなく、私のヨタ話も共有してもらうことで学生たちの授業へのコミットメントを高められるのではないか、と考えたからです。自分の大学時代、どんな高名な先生の授業を受けていても、結局記憶に残っているのは授業よりむしろ脱線ばなしだったりして、でもそれが今の自分にとって大切な財産になっていたりもする。先生の「裏ヴァージョン」にアクセスがあるような授業も悪くないのでは?と思っているのです。(今のところ、日本語が読める学生さんにしか、この「裏バージョン」が存在しないので、ちょっと不公平になっています。改善の方法を模索中。)
▲そして最後に――これはとても陳腐なので恥かしいのですけれども――このブログは私の中にある「自分を表現してみたい」という欲望のあらわれです。「自分」と「表現」へのこだわりは、近代人特有の「病」のようなものです。そこにさらに、日本語における「(小説や詩という意味ではなく書く・読むにまつわるすべての言説という意味での)文学」というパラダイムが歪んだ形で構成した欲望が加わっています。それは歴史をひも解き、文学理論を少しでもかじっていればほとんど常識に類することなのですが、私はどうやらたっぷりとそれを自分の中に蓄え、時折外に出してやらないと暴走しそうになる、どうしようもない病人であるようなのです。
【追記 12・2・04】この最後の一段落は、書いてみたものの(結構勇気がいることなのよ、業界の人にはわかると思うけど)自分でも大変座りが悪い文章だなと思っていて、何度か書き直そうとしてうまく行かなかったので、これはこれで置いておき、とにもかくにも座りが悪いことだけを追記しておくことにいたします。今の私に言えることは、私自身「病人」であると同時に、その「病気」を解明せんとする「医師」でありたいとも切望しているということだけです。「表現」への欲望、「自分」なるものへの執念、これらは自分でそれについて「書く」ことによってしか、解明されないのなら、私は書き続けるしかない、と思う今日この頃です。
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