1945年3月10日
■「昨夜猛火は殆東京全市を灰になしたり。」
■昨日3月10日は東京大空襲からちょうど60年。永井荷風も昭和20年3月10日に、26年住んできた私邸「偏奇館」を焼け出されている。
■壊滅した土地の範囲を荷風はこう記している。「北は千住より南は芝、田町に及べり。浅草観音堂、五重塔、公園六区見世物町、吉原遊郭焼亡、芝増上寺及霊廟も烏有に帰す。」東京の街を徘徊し、徘徊することそのものを小説となし、<ことば>によって新たなトポスを開拓してきた荷風が、「烏有に帰」した東京を見て絶句しているさまを、奇妙に淡々とした口調が逆に雄弁に物語る。
■関東大震災で失われてしまった東京を丹念に拾って歩く、若くしてすでに老人のようであったこの作家は、その失われてしまった東京の最後の名残を自分の作品『濹東綺譚』において不朽のものとしたのだが、その墨東すらも完全に焼失したと人づてに聞く。「本所深川の町々、亀井戸天神、向島一帯、玉の井の色里凡て烏有となれりといふ。」
■しかし、実際の街の壊滅もさることながら、彼にとってもっとも痛手であったのは、「偏奇館」とともに灰となった蔵書であったろうと思われる。年老いてきた身に洋館の維持は大変で「むしろ一思に蔵書を売払ひ身軽になりアパートの一室に死を待つにしかずと思ふ」こともあったようだが、やはり「三十余年前欧米にて購ひし詩集小説座右の書巻今や再びこれを手にすること能はざるを思へば愛惜の情如何ともなしがたし」であったのだ。
■今でこそ、洋書を買うのもクリック一つで楽になった。私などは失くしてもまたすぐ買えるような本しか所持しておらず、その意味ではまったく文学者失格だが、それでも本を買うときは「ここで会ったが百年目、もう二度とこういう形で出会うことはないだろうから」という思いで購入する。ましてや、買い直すことのできない一期一会の一冊を、30年以上の歳月をかけて数百冊集め、それらが一夜で一握の灰になったとしたなら…。文字通り「断腸」の思いであっただろうと想像する。
■東京大空襲から60年の報を聞き、永井翁の嘆きに思いをはせる。
参考文献 永井荷風『摘録 断腸亭日乗(下)』(岩波文庫)
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