日記(2月後半)
■2月
ホット・カーペットの購入以来、
冬の仕事場は床の上である。
背中にクッションを積み上げ、
膝のうえにコンピュータを載せ、
まわりに散乱する資料と本。
忘れちゃならない、お茶とおやつのお盆も。
おやつは毎日違うものでなければならない。
商店街には生菓子やも煎餅やもあるので、
おやつの調達には困らない立地である。
お茶も、ハーブティ、番茶、緑茶、紅茶、ほうじ茶、中国茶3種類が常備。
物質的準備だけは万端。
■2月
先日来、ピアノを弾くと小指が痛い。
いや、別に「アナタが噛んだ」からではない。
(わからない若い人はスルーしてください・・・)
右手の小指。
去年は一年間のほとんどをモーツァルトに費やしていた。
だから、右手の小指に出番はあまりなかった。
音階の一部がちょろっと回ってきたり、
オクターブの添え物程度。
主役のメロディを一人で担当などということはなかった。
ところが今年は頭からシューベルトのアンプロンプチュ3番で、
(142の方です、大好きなの)
いきなりの主役抜擢である。
一つ目のヴァリエーションなんか、でずっぱり。
もともと力の強い親指や人差し指は軽く弾かねばならず、
筋力がない上に、手のはじっこについているせいで
上から直角に力を落としにくい小指に、
メロディラインのすべてが託されるという構造になっている。
その結果、日常生活では絶対かからない形で負荷がかかり、
積もり積もって痛みになるらしい。
できるだけ直角に力がかかるよう、調節しながら弾いてみる。
■2月
夜中に足がむくんで眼が覚めるのだとかかりつけのお医者さまにこぼしたら、
それは冷えです、と言われた。
「中年の女性に冷えは大敵です」
自分で「中年」という分にはいいが、
人に言われると少々ムッとする。
でも言われたとおりに、
寝る前にぬるめのお風呂に入るようにしたら、あーら不思議。
よく眠れるわぁ。
医者の言うことはおとなしく聞くがよし。
本日は風呂の中で笙野頼子『ろんちくおげれつき』を読了。
わかりにくさとわかりやすさの配分が絶妙。
こんなにわかんないのに最後まで読ませてしまうあたり、
あまり好きな作家ではないけれど、やはり力量と言おうか。
■2月
朝は床でお仕事。
右に資料を積み上げ、読んでメモしたら左へ移す。
そうすると左側が高くなっていくはずだが、
ときどき左側の資料の下から引っ張りだして読み直したり
するおかげで、左側があまり積み上がっていかない。
午後には家にいるのにも倦んできて、
野上元『戦争体験の社会学ー「兵士」というの文体』を持ってカフェへ。
著者の野上氏は、
私がアメリカから日本の大学院に「留学」させてもらっていた頃に、
吉見俊哉ゼミで大学院生をしておられた方である。
顔を出させてもらっていた小森陽一ゼミと吉見ゼミは交流があって、
私も吉見ゼミに2度ほどお邪魔させていただいたことがあった。
ちょうどカルチュラル・スタディーズが日本に入り始めていた頃で、
今は亡き「社会情報研究所」の吉見ゼミはその中心にあった。
イギリスから大物学者を呼ぶイベントなどがあって、
私も末席に連ならせていただいたのである。
私にとって当時の吉見ゼミと小森ゼミの方々は、
初めて接したいわゆる「国文学」ではない日本の大学院生だったので、
強く印象に残っている。
もっとも野上氏ご自身とよくお話したわけではないので、
私のことを覚えてはおられないだろうが。
社会的行為としての「書くこと」をふまえて、
戦後文学の有名どころを語ろうとしている点で、
私の関心と重なるところがある。
博士論文を元にしていることがよくわかるのは、
著書を構成しているいくつかの章それぞれが、
野上氏自身の興味をどのように「社会学」の文脈と折り合いをつけるか、
という苦心を物語っているからである。
こんなことを言うほどご本人を存じ上げないが、
あまり小器用に無難にまとめることができない方なのかもしれない。
この方、本当は文芸批評を書きたかったのかも、と思ってしまうくらい、
「文学」を語るときに楽しげで、「社会学」を語るときには苦しげである。
博士論文という領域で分野横断をするのは、
なかなか大変なことだよなあ、と思いを馳せたりした。
著書のタイトルにも含まれている「文体」という言葉は、
この折り合いをつけるのに不可欠だったのだろうと思われるのだが、
これがなかなか扱いづらい装置なのだ。
「意味」や「内容」ではなく、
「いかに語られているか」が問題なのだと主張するときには、
便利な言い方なのだが、それ以上あまり使えない。
使うのならば、おそらく野上氏がやっておられるより、
さらに細かくかつ体系的に分節化する方法を見つけなければ、
使い勝手がよくならないのではないかな、というのが、
今の時点での私の感触だ。
野上氏の著作云々というより、
むしろ私が何度も「文体」という装置を使おうとして、
その都度自爆しているからなのだけれども。
■2月
今日のお風呂の中の読み物は、舞城王太郎。
ほとんど現代ものを読まない私にとっては画期的よん。
なぜ舞城か。
その昔、私の基礎演習にいた学生が舞城について書いた卒論を、
持ってきてくれたからである。
ゼミ生以外の学生から卒論を読んでください、と言われるのは、
これまた嬉しいことである。
しかし、センセイは舞城を読んでいなかったのだよ。
がんばってますから、もうちょっとコメント、待ってね。
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Comments
現代の作家もたまにいいけど、一葉や吉川英治にはやはり敵わん。私にとって英語もそうだ。例えどんな現代の凄い詩人が現れても、TennysonなどSpenserを超えるはずはない。
Posted by: コリン | March 11, 2008 at 06:00 PM