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March 29, 2011

<ことば>ノート授業版を作りました


告知です。
授業の情報を集約した新しいブログを立ち上げました。
横のLINKから入ってください。


現在我が大学では授業の開始が延期されていますが、
4月中はサブゼミをやる予定です。
どなたでもご参加いただけます。
自由参加の読書会のようなものですが、主体は学部生です。
一人で読むのもいいけど、たまには複数で読んでみるのも悪くない。
そう思う方はどうぞご参加ください。


地震のこと、書こうかと思いながら、まだ書けません。
とにかく今は平常心と思い、目の前にあるやるべきことを、
粛々と行うのみです。

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March 17, 2011

Message to my friends in the US

ロンドン在住の金魚から英語ができる人間へ、呼びかけがありました。

「外国語の出来る方。Twitterやブログでその言語で世界に向けて義援金を募ってください。日本は「リッチな国」と思われているためか「まあ、そのうちまた復興するよ」と思われており、イギリスでもそのように報道されつつあります。そのため、ハイチやインドネジアなどの被災とは違って街でも全く募金箱を見かけません。しかし今回の被災の規模は一国や一国民が「我慢して」なんとかなるものではありません、国際的な援助が早急に必要です。」

英語を書くという技能を習得することに時間とエネルギーを使ってきた人間として、
金魚の呼びかけはなるほどと思われるものでした。
このブログは日本語なので、直接効力はないと思いましたので、
今回のアメリカ旅行でトークをしたUniversity of Michigan, Belmont University,
Earlham College, Indiana University に向けて以下のようなメッセージを送り、
特に日本やアジアについて勉強している学生に向けて拡散をお願いしました。

現在留学中の学生も、できればこうしたお願いを拡散していただければ、と思います。
また、アメリカ内での義援金の窓口は以下以外にもあると思いますので、
reliableであればそれを含めて呼びかけてくださいまし。

Message from Richi SAKAKIBARA

My dear friends at Earlham College/University of Michigan/Belmont University/Indiana University,

I learned the news of the earthquake and tsunami when I was about to board
the airplane back home from the US. My heart broke to see all the pictures of
devastation and think of thousands of lives just so brutally taken in a moment.
My brother-in-law's family, including four children and 90 year-old great grand mother,
are living within the 60 kilometers of the Fukushima Nuclear Power Plant. They
are afraid for their lives but the entire city is out of gas so that they cannot move to anywhere.
If you have friends in Japan, have studied about Japan, watched Japanese anime,
played Japanese games, or simply concerned about Japan, please help us by
donating money. I know Japan is considered to be a rich country, and I don't think
we can deny that, but at the same time, this is an emergency situation. Japanese
economy has already been in a critical situation and this can be a fatal blow.

There are number of places you can make donation from the States.
One of the reliable organizations is American Red Cross.

http://www.redcross.org/

Thank you very much for your support.

Richi SAKAKIBARA

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March 13, 2011

【業務連絡】安否確認と私の状況


いま、三期生のタイキが安否確認をしてくれています。
榊原ゼミの二期生、三期生、および、聴講生、あと少しでも関わったことのある学生で、
連絡できる状態の方はタイキに連絡を入れてください。
あるいは私(richi.sakakibara@nifty.com)に連絡をいれてください。


なお、一期生(<ことば>ゼミのみなさん)もできれば私に一報をくださいな。


私は日本時間15日の午後2時に全日空11便で成田空港着の予定です。

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March 11, 2011

インディアナポリスに到着


5時すぎにトークを終え、呼んでくださったM子さんと
その旦那様とレストランでお食事。
そのまま彼らのお宅へ帰り、お礼やさよならもあわただしく、
待ってくれていたリムジンに乗り込み、
一時間ほどドライブしてインディアナポリスのモーテルに到着した。
ようやく明日の朝、帰国の途につく。


明日のフライトは朝の7時なので、
5時には空港入りである(泣)
朝4時半のシャトルをフロントで予約。
乗り継ぎのシカゴでスタバに行く時間あるかしらん。
目覚ましを3時半にセットしておやすみなさい。

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March 09, 2011

ブルーミントンへ移動


リッチモンドでのEarlham Collegeとのお仕事終了。
町長さんに会ったり、副学長と話したり、地方紙に載ったり、
授業やったり、頭痛でぶっ倒れたり、となかなか盛りだくさんであった。
行ってトークだけして帰ってくるというわけにはなかなか
いかないのである。


留学中のSILSの学生とも少し話ができたし、
Earlhamの学生で私の早稲田の授業をとっていた学生とも会えた。

むかしむかし私の父と碁を打ったことがあるというおじいさんにも
会えた。

まあまあよかったんじゃないでしょうか。


これからリムジンに乗って2時間かけて
インディアナ大学があるブルーミントンへ移動。
チェックアウトしてきます。

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March 08, 2011

リッチモンド到着


シカゴのオフィス街の日曜日。
出発まで時間があるので、友だちとコーヒーショップでだべる。

私よりも少し早い時間に発つ友だちがタクシーに乗って行ってしまうと、
ぽっかりと一時間空いてしまった。

シカゴでも古い外観を残すデパートに入り、
ぱしゃぱしゃと写真を撮って、売り場をひやかす。
その後Bordersに行って、本をひやかす。
荷物になるので買う気はなし。
村上春樹は棚一つを占領している。
それよりも大きな棚を占領しているのはOtaku/Graphic novels
というタイトルの本である。
InuyashaとかNarutoとかが並ぶ棚の写真を撮る。


そうだ、少し早めに空港に行ってまともなコーヒーを飲むことにしよう。
フロントにタクシーを頼む。
預けておいたスーツケースを出してくれたおじさんにチップ、
スーツケースをタクシーのトランクに入れてくれたおじさんにチップ、
タクシーの運転手さんにチップ。
アメリカでは勝手に自分でいろいろやるのはあまり喜ばれない。
というか、やってはいけない。
ホテルでもレストランでもそれぞれサービスする係の人が決まっていて、
自分で自分のことをやってはその人たちのチップの機会を
奪ってしまうからである。
日本から来ると、これが面倒である。


ちっこい飛行機で着いたのはオハイオ州デートン。
リッチモンドはインディアナ州だが、オハイオとの州境にある。
渡されたスケジュールによれば、迎えてくれる方は「ハイジ」という
お名前らしい。ハイジと言えば「アフプスの少女ハイジ」のイメージしかないのだが、
「ハイジ」らしき人は誰もいない。
電話をかけようかどうしようか迷っていると、
私の名前の札を首からぶらさげたおじいさんが現れた。

まさか、あなたが「ハイジ」?
Hi I'm Paul. I'm your driver today.
ああそうなんですか。で、「ハイジ」さんはどうなったのかしらん。
She is my wife. She is picking up somebody else.

いずれにしろ、「アルプスの少女ハイジ」のイメージでは
うまくいかなかったわけだ。


ホテルに到着。
キングサイズのベッドは、
私の東京のアパートのベッドルームくらいある。
部屋はうちのリビングくらい。
でも、基本は車で移動する人々のためのホテル、モーテルに近い。
晩ご飯をいただいてこなかったので、おなかがすいた。
ピッツアを頼むほどでもないし、ましてやレストランに行くのもあほらしい。
下の売店でクラッカーとオレンジジュースを買う。
明日からまた、お仕事。

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March 07, 2011

Uncool な Japanology のワークショップ その3


パブロンをきちんと飲んだので、少し風邪はましになった。
ワークショップ2日目。
午前中は前日と同様、院生の発表が二組ある。

発表がつつがなく終わりお昼をいただいていると、
突然ものすごい音でアラームが鳴った。
雪が散らついているのに、全員外に退出。
でっかい消防車が二台到着して、ごっつい体型のおっちゃん消防士が、
これまたばかでかいホースをかついで中へ入る。
私はこの隙にノーマ・フィールドさんを見つけて、話をさせていただく。

日本でもアメリカでもこのジェネレーションに特有といっていいのか、
アクティビズムに軸足を置き、いつでもそれがぶれない方である。
生活の具体性を重視し、抽象的でアカデミックな議論に流れることへの警鐘を鳴らし、
政治的目的意識を常に言明し、そのことへの情熱が仕草にも語り口にも溢れる。
そういう言語への懐疑から出発してしまった私達のジェネレーションでは、
あまり見られない情熱であるように思う。


午後はAnn Sheriff と今回日本から招いた日大の高栄蘭さん、
そして我が同僚十重田氏のパネルで、ディスカッサントがノーマさんである。
あまり共通のテーマはなかったが、今戦後批評をやることの意味など、
根本的なことが議論となった。

最後は我々共同研究のコアメンバーが登壇して、
今までの成果のまとめ、これからの先の計画などを。
とりあえず3回はやろうと言っていたワークショップが、
一年のうちに実現できたので、私はよかったんじゃないか、と思っている。


アメリカの大学のアカデミック出版の状況は厳しい。
批評は小説に比べると二次的なものとされるので、
その翻訳となるとなかなか出版のオーケーが出ない。
だから日本文学の批評の翻訳は本当に数えるほどしかでていないのである。
かててくわえて、時代をさかのぼる批評は注釈なしには成立しないのだが、
注釈をたくさんつけるのは嫌がられる。
おまけに我々は少し実験的な形態をとりたいと考えており、
さらに出版社は限られる。

しかしここまでやってくれた院生たちの業績のためにも、
出版はマストである。
先生たちはがんばりますですよ。

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Uncool な Japanology のワークショップ その2


ところで我々のワークショップがuncoolなのは、
漫画もアニメもゲームも登場せず、
かといって大江も川端も登場せず、
もう誰も読まないような占領期の批評なぞをちまちま
読んでいるからである。

さらに読んでいるだけでなく、さらにちまちま
注釈したり翻訳したりしているからである。

しかしおそらく我々はこの「ちまちま」に自分たちのfaithを
置いている。だが同時にこれがuncoolであることも知っている。
居直り強盗じゃないけど、ここから始めるしかないじゃない、と
少なくとも私は思っている。
今の時代、uncoolでいられるのはluxuryかもしれない。


というわけで、私が発表のトップバッター。
今日の焦点は戦後直後の『思想の科学』である。
次にJim Dorseyが小田切秀雄と『文学時標』、
つぎにDoug Slymakerが加藤周一とねじれた日本のアイデンティティで発表。
そしてRich Callichmannが3人の発表にコメントを。

再びマイクが回ってきて、コメントにコメントを。
会場からも質問が飛ぶ。発表者と質問者の距離も近いので、
比較的なごやかに進んだと思う。


ようやく壇を降り、2つ目のパネルが始まったところで、
もうとうとういけなくなった。
少し中座して風邪薬を流し込んだ。
結局Justin Jestyの花田ー吉本論争の部分と、
Atsuko Uedaのコメントが聞けただけとなってしまった。
すみません、二つ目のパネルの方々。


夕食を終えてホテルに帰ると、ほとんど倒れるように就寝。

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Uncool な Japanology のワークショップ その1


さて。
シカゴ大学での “Rethinking Hihyō: The Politics of Literature and
the Literature of Politics in Early Postwar Japan” のワークショップが終了した。

一日目。市内のホテルからマイクロバスを仕立てて、
全員でシカゴ大学へ移動する。

午前中は大学院生たちの発表を中心とした翻訳/注釈のワークショップ。
院生には日本人ネイティブとアメリカ人ネイティブでペアを組んでもらい、
政治と文学論争の中心的とされるテクストに翻訳しかつ注釈をつけ、
気になった点について一組10分ほどの発表をお願いした。


私たちは共同研究のチームを組んだ当初から、
それぞれの大学の院生たちを巻き込んだプロジェクトを考えていた。
大学に職を得れば学会などで顔を会わすけれども、
大学院生というのは他大学の院生と交流する機会は限られている。
ましてや日米の大学院生の本来の意味ので交流はあまりないと言っていい。

最初は完全に見切り発車で、教育プログラムを組んだわけでもなく、
はっきり言ってほとんど放し飼い(失礼!)状態だったのだが、
院生たちはそれぞれがとてもクリエイティブな発表をしてくれた。
ワークショップもこれで3回目なので、彼らもお互いに慣れてきた様子が
見てとれたし、それぞれがいい刺激になっているように見えた。
それになんと言っても、
この1年間での彼らの「翻訳」「注釈」の作業に対する理解は、
驚くほど深まったと思う。
自慢をするわけではないけれど(してるか)、
彼らの進歩に我々は4人ともタイヘン満足した。


院生の発表とリードで、フロアのディスカッションが始まる。
フロアは30人ほどである。
一語の翻訳をめぐって議論が紛糾する。
これだけの人数の学者(とその卵)が集まって
翻訳の細部をいじくり回すワークショップは他にないのではなかろうか。

今回特に大きな助けになったのは、ノーマ・フィールドさんと
ヘザー・ボーエン=ストライクのお二人。
戦後すぐの文学批評は、戦前のプロレタリア文学運動に関する
正確な知識と翻訳の経験がないと、まったく翻訳できない。

彼女たちはプロレタリア文学選集の注釈付き英語翻訳で得た知見を
惜しみなく披露してくれた。
シカゴの地の利を生かして、お二人に参加してもらったことは、
今後の私たちの大きな希望となった。


午前中は比較的体力が持っていたが、
お昼のサンドイッチをつまんでいる間に私は急速につらくなった。
とりあえずパブロンを流し込む。

私の発表は午後一発目。
ダイジョーブか、私...

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March 05, 2011

げほげほ


シカゴでのRethinking Hihyoのワークショップ
一日目終了。

だが、やってしまった。
体が温度差についていけず、風邪をひいてしまった。
発表と質疑応答はなんとかこなしたが、
あとのセッションはほとんど死んでた。
明日の2日目、最後まで持つかしらん。。。


Lemsip飲んでもう寝ます。
おやすみなさい。

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March 03, 2011

シカゴに移動


抜けるような青空のナッシュビルを出て、
寒風吹きすさぶシカゴに逆戻り。

Wendy's でチキンフィレサンドを齧って、
スターバックスのキャラメルマキアートを飲みながら、
ロビーでフライトを待つ。


古い友人や昔の先生たちと食事をするほかは、
放っておいてもらえたミシガンと違い、
ここでは入れかわり立ちかわりホストの先生たちがアテンドしてくれ、
そのホスピタリティは素晴らしかった。
だからこんなことを言うのは非常に気が引けるのだが、
こういう種類の歓待に、あまり慣れてない私は正直言って、
かなり疲れてしまった。
日本を離れてから一週間だから溜まってきた疲れもあるのだろうけど。


ベルモント大学は、全国的に有名なバンダービルト大学のすぐ隣にある、
小さなバプテストの大学である。
だが、宗教色を払拭して、なんとか大学のレベルを挙げようとしており、
古い組織ながらなんだか新興大学の感じがするのは、
おそらくそのためだ。

彼らがやろうとしていることの一つに国際化がある。
学生たちを異文化に触れさせようとする先生たちの努力は
涙ぐましいものであった。
私はその努力の一環として招かれたのである。
トークの他に3つの授業を見学させてもらった。

どの授業も日本に関係するものだが、
どれもJapanese Studiesのトレーニングを
受けていない教員が教えている。
大きな大学では考えられないことだが、他に人がいないのである。
しかも彼らは全員信じられないくらい真摯に日本文化を
学生たちに教えようとしている。

私は研究者として招かれたというよりも、
「日本の(ユーメイな)大学の日本人の先生」として招かれたのであり、
私の仕事は何よりも「日本人」としてそこに存在していることであった。
研究者として扱われることに慣れてしまっていた私には、
こういう風に日本を背負わされるのは久しぶりのことで、
学生たちが向けてくる視線が面映かった。


この学生たちの中でJapanese Studiesの研究者になる学生はほとんどいないのだろう。
だがいわゆる「日本理解」の底辺を支える人々であることは間違いない。
彼らはアニメやゲームの世界を一歩でて、戦国時代について学び、
ひらがなやカタカナや漢字と格闘し、英語で大江や川端の小説を読んでいる。

Japanese Studies は地域研究の枠組みにはまった組織を批判し、
そのオリエンタリスティックなイデオロギーを解体しようとしてきた。
それはそれで非常に重要な作業であり、続けていかねばならない作業ではある。
だが、同時にこうした恵まれない組織で金儲けばかりを追求する大学経営者と
戦いながら学生たちを「日本文化」なるものに触れさせようとしている努力は、
イニシエーションとして大切なものであるだろう。
確かに彼らの「日本理解」は深いものではないかもしれないが、
もしかするとこれからの世界はこういうものをもっと
必要としているのかもしれないのである。


中国政府はナッシュビルクラスのアメリカの中堅どころの都市各地に、
中国人の学者を送り込み、金を落として研究所を設立している。
彼らが言語を教え、中国人の代表として学生たちと接し、
彼らを連れて中国に旅行に行き、「文化」を注入している。

日本はむろんそういう努力をしていない。
それが本当にいい方法かどうかは考えねばならないが、
違いは際立っている。


いろいろと考えさせられる旅であることよ。

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March 01, 2011

ナッシュビルに移動


雪とみぞれのAnn Arborから、
すべての日程を終えてテネシー州ナッシュビルに移動した。
飛行機で実質1時間ほどの旅だが、タイムゾーンが変わり1時間を失う。


キャンパスの雰囲気もずいぶん違う。
ミシガン大学は中西部の無機質な建物が並ぶが、
このあたりのキャンパスは南部のにおいがずいぶん強い。

南部のにおいとは、実はヨーロッパのにおいである。
それもこういってはなんだが、コピーもののにおいである。
大理石のギリシャ風の彫刻やら噴水が点在するキャンパスである。
『風とともに去りぬ』の映画に出てくるような「マンション」と呼ばれる
高い天井におおきな柱が何本もそびえる邸宅風の建物がたくさんある。


それにしても暖かい。こんなに暖かいとは思わなかった。
ミシガンで着ていたダウンコートはスーツケースにしまった。
トークは今晩。それまで少し時間があるが、
Country Music Hall of Fameにでも行くかな。


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