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May 27, 2011

テーブルを修理してもらう


土曜日は修理に出していたダイニングテーブルが我が家に帰ってくる日だ。
ふるーい一枚ものの天板で、80年は経っているという。
もともと大きな割れ目があったのを承知で購入したのだが、
マンションの乾燥がこたえたのか、さらに大きく割れて来てしまった。
写真を撮って店に送ると、綺麗に直ります、という。


ヒッカドゥアというこのお店は、今は西麻布のようなおしゃれなところに、
広い店舗をかまえているが、もともとは下北沢の路地裏にある小さな小さな店だった。
英会話の講師をシモキタでやっていた頃から、好きで通っていた。
当時は家具など買えなかったからこっそり見に行くだけだった。
買えるようになったら絶対ここで買おうと思っていた。
そして就職してまず仕事机を一つ買い、同じものをもう一つ買い足し、
椅子を二つ買い足し、昨年ダイニングテーブルも買ったというわけだ。

東南アジアから買い付けてきたものを、日本の家具職人が手をいれる。
修理はここにテーブルを運んで来てくれた職人さんが来てやってくれた。
彼には他のテーブルの修理もお願いした。


割れ目部分に木片を差し込み、丁寧に削り、ニスを塗って、
へこみ(古いものだからかなりでこぼこがある)部分もちゃんと
削ってへこませて、回りと齟齬がないようにして、
少し見ただけでは割れ目があったなんてまったくわからない。
もちろんよく見ると継ぎ目がわかるが、
あまりにも丁寧に仕上げられているので、その継ぎ目自体が味を増す。

陶器の金継ぎの家具バージョンである。
綺麗だ、と言って私が喜ぶと、職人の彼もとても嬉しそうな顔をした。
「あと十年は問題なく持ちますよ」
「持っちゃうとあなたの店の商品売れないよ」
「そうなんですよねー」
家具を直すことが好きで仕方がないという人である。


このダイニングテーブルの名前はマルクスである。
私は家具やら植木やら家の中のものに名前をつける妙な癖があって、
友人から呆れられたことがあるのだが、みんなはやらないのかな?
金継ぎして味が出るあたり、ぴったりのネーミングだと思うけど。
ちなみに、もう一つの机はエンゲルス。
それなりに味はあるけど、マルクスに比べるとまあ少々見劣りがする。

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May 23, 2011

雑感


論文も提出し、書評も出し終わったので、
なんとなく解放感のある週末になった。

コーヒーをたっぷりいれてフレンチトーストを作り、
資料の整理をし、ベランダの植木の手入れをし、
ご近所からいただいてきた椿の挿し木を植えた。
昼にはなめこおろし蕎麦を作り、
午後にはCriminal MindsのDVDを立て続けに見る。
お供はハーゲンダッツの新商品、クッキー入りのバニラアイス。
なんとも幸せな一日。


震災関連のこと。
人は人で動くという。その通りだと思う。
その人を信頼するから、あるいはその人となりが好きだから、
その仕事なりプロジェクトなりを分担しよう、
あるいは応援しようと思う。

逆もある。
プロジェクトにも、その志にも、賛同するのだけど、
その人が動いているから嫌だ、ということがある。
その人の掛け声では動きたくない、ということがある。

こういうとき、昔の私ならプロジェクトの内容や志の方に比重をかけて、
参加するかどうかの判断をしていた。
最近は自分の好悪の直観の方を大事にするようになった。
そこにはやはり何かある、と思うからだ。
そこにいる人を見て、少しでも嫌ならやらない。

一生懸命に動いているのはわかる。
ノウハウも人的リソースもそれなりに持っているのだろう。
それでも、何かが私を引き止める。


大学も忙しくなってきた。
新しい試みとして授業ブログとサブゼミを始めた。
これについてはまたおいおい書こうと思う。
学生と本をたくさん読む。その本について話す。

重要なのはバランスだ。
学生に必要な本だけを選んでいてはだめだ。私が疲れてしまう。
学生が読みたいものと私が読みたいものの間のバランスをうまくとる。

流行のものだけを読んでいてもだめだ。浅くなってしまう。
古いものばかりを読んでいてもだめだ。疎くなってしまう。
今読まれている本と、もうあまり人が読まなくなった本とのバランスを
考える。

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May 22, 2011

新しい「日常」のために


日常を粛々とこなすだけ、と自分に言い聞かせるようにしていたのだが、
結局それをブログに書いたりする気にはなれなかったということは、
たぶん相当浮き足立っていたのだろうと思う。

そして今も心の奥底では相当浮き足立っている。
もう以前の自分には戻れない。戻ってもいけない。
そんな感じがしている。

じゃあ、何を「新しい日常」にするのか。
それは暮らしながら書きながら考えるほかはない。

で、ようやくこれを書き始めることができた。


Henry David Thoreauじゃないけど、
自分んちのユーティリティ・コストってどこまでが本当に
必要で、どこからが惰性なんだろう。

書いたり読んだり、が生活の基本である私にとっては、
例えば読書するときの電気だとか、コンピュータをつけっぱなしにする電気だとかは、
そう簡単に削れないものなんだけど、
どちらかと言えば嗜好に関することーー例えばお風呂場をどうしても
乾燥させておきたいからがんがん換気扇をまわしちゃうーーみたいなものは、
努力すれば削れる。


その努力ってのは、「技術」と「手間」と「体力」で成立している。
窓さえ開けておけば水をじゃばじゃぱ床に振りまいても乾いちゃう、
ヨーロッパやアメリカと違って、日本の家屋をきれいに保とうとすると、
「水」との闘いになる。

とにかく水滴を飛び散らかさないこと。
シャワーをアタマからぶっかぶるのではなく、
汲み置きのお湯を座って使い、使った後はスクレイパ—で水滴を取り去り、
さらにぞうきんで水を拭い、タイルの目地なんかをごしごしこすっておくと、
カビがつかない。

あとは換気扇を一時間だけ回しておく(これだけはまだ削れない私...)


コーヒーとパンしか食べない私の朝食だけど、
これは毎日のことだ。
コーヒーはコーヒーメーカーで作り、トーストはトースターで作る。
どちらも電気を使う。

そもそもコーヒーはドリップ式で手で淹れた方がおいしいんだし、
トーストは魚焼き用のグリルでいけるんじゃね?
どうせ、私は自宅でほとんど魚は焼かない。
やってみたら、きれいにこんがりできる。匂いもない。
いいじゃん、これで。
質も落ちてないしね。


こういうことは家庭の主婦ならちゃんとやっていたことなんだろう。
ただ、私は主婦ではないので、時間が金で買えるなら買うぞ、と思って、
生きてきた。
そして、その時間を自分自身の脳みその筋肉増強に使ってきたのである。
だが、その筋肉増強ももう限界が見えつつある。

自分にとっては大切な大切な研究だけれども、
ひとさまのお役に立っているとは言いがたいし、
その分野の中でもこれといって大きな貢献をしているわけではない。
必要以上に卑下する気はまったくないが、事実を認めるにやぶさかではござらん。


電気代節約のための節電ではない。
東北の人々のための節電でもない。

たんに、小さな自分の小さなリミットを超えるための節電。

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