新しい「日常」のために
■
日常を粛々とこなすだけ、と自分に言い聞かせるようにしていたのだが、
結局それをブログに書いたりする気にはなれなかったということは、
たぶん相当浮き足立っていたのだろうと思う。
そして今も心の奥底では相当浮き足立っている。
もう以前の自分には戻れない。戻ってもいけない。
そんな感じがしている。
じゃあ、何を「新しい日常」にするのか。
それは暮らしながら書きながら考えるほかはない。
で、ようやくこれを書き始めることができた。
■
Henry David Thoreauじゃないけど、
自分んちのユーティリティ・コストってどこまでが本当に
必要で、どこからが惰性なんだろう。
書いたり読んだり、が生活の基本である私にとっては、
例えば読書するときの電気だとか、コンピュータをつけっぱなしにする電気だとかは、
そう簡単に削れないものなんだけど、
どちらかと言えば嗜好に関することーー例えばお風呂場をどうしても
乾燥させておきたいからがんがん換気扇をまわしちゃうーーみたいなものは、
努力すれば削れる。
■
その努力ってのは、「技術」と「手間」と「体力」で成立している。
窓さえ開けておけば水をじゃばじゃぱ床に振りまいても乾いちゃう、
ヨーロッパやアメリカと違って、日本の家屋をきれいに保とうとすると、
「水」との闘いになる。
とにかく水滴を飛び散らかさないこと。
シャワーをアタマからぶっかぶるのではなく、
汲み置きのお湯を座って使い、使った後はスクレイパ—で水滴を取り去り、
さらにぞうきんで水を拭い、タイルの目地なんかをごしごしこすっておくと、
カビがつかない。
あとは換気扇を一時間だけ回しておく(これだけはまだ削れない私...)
■
コーヒーとパンしか食べない私の朝食だけど、
これは毎日のことだ。
コーヒーはコーヒーメーカーで作り、トーストはトースターで作る。
どちらも電気を使う。
そもそもコーヒーはドリップ式で手で淹れた方がおいしいんだし、
トーストは魚焼き用のグリルでいけるんじゃね?
どうせ、私は自宅でほとんど魚は焼かない。
やってみたら、きれいにこんがりできる。匂いもない。
いいじゃん、これで。
質も落ちてないしね。
■
こういうことは家庭の主婦ならちゃんとやっていたことなんだろう。
ただ、私は主婦ではないので、時間が金で買えるなら買うぞ、と思って、
生きてきた。
そして、その時間を自分自身の脳みその筋肉増強に使ってきたのである。
だが、その筋肉増強ももう限界が見えつつある。
自分にとっては大切な大切な研究だけれども、
ひとさまのお役に立っているとは言いがたいし、
その分野の中でもこれといって大きな貢献をしているわけではない。
必要以上に卑下する気はまったくないが、事実を認めるにやぶさかではござらん。
■
電気代節約のための節電ではない。
東北の人々のための節電でもない。
たんに、小さな自分の小さなリミットを超えるための節電。
