« May 2011 | Main | August 2011 »

June 19, 2011

本に日付を入れると...


サブゼミで読む本は私が自分の気分で決めている。
今回の課題本は、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』だ。

クリーム色の布張りの新潮社版を久しぶりに引っ張り出して来た。
懐かしい手触り。
私は岩波の学術書などによくかけられている薄紙が大嫌いで、
買ったらまずひっぺがすのだが、この布張りの手触りはよい。

「榊原蔵書」という蔵書印が変な形に歪んで押されており、

Richie Sakakibara Feb. 1991 Ann Arbor

とボールペンで記されている。
 

最近は買った本に日付を書くこともなくなっていたが、
年を取ってから見てみるとなかなか面白いものだなあ、と思う。
また復活させるかな。

1991年といえば、大学院の一年目である。
Ann Arborはミシガン大学がある街の名前。
ファーストネームがRichiではなくRichieとなっているのは、
アメリカの病院で発行されたBirth Certificateがそういう綴りになっていて、
それにもとづいて作られた私のアメリカのパスポート表記がそうなっていて、
それをもとに私の学籍が作られていたからである。
私の博論も表紙にはRichieと書かれている。


アメリカの大学院だから授業で読んだのは英語版で
Discipline and Punishという題だったと思う。
英語版で読んでさっぱりわからず、日本で日本語訳を探した。
英語では「フコー」と「コー」にアクセントがつく名前も、
日本語では「フーコー」とひらぺったくなることもこのとき知った。

この手の本が「現代思想」と呼ばれていることも
このとき初めて知ったのではなかったか。

私が唯一読んでいた『現代思想』という名前の本は、
清水幾太郎が書いたものだったから、
それとはまったく別の意味内容を持った言葉なんだと気づくのに
妙に時間がかかってしまった。

いっぱい線が引かれているところを見ると
大学院に入りたてほやほやの私はかなり必死になって読んだらしい。
この本がフーコーや他の「現代思想」の人々の書き物に比して、
かなり平易に書かれていることに気づくのは、
さらにもっともっと後のことである。


そのつもりで選んだわけではなかったが、
この『監獄の誕生』は前回の課題本、
Never Let Me Go(邦題『私を離さないで』)の主題と
かなり重なる。

議論が楽しみだ。

| | TrackBack (0)

June 08, 2011

大学を九月始まりにする件


少し前に、Twitterで哲学者の國分功一郎さんが大学を9月始まりにする提案をなさっていた。
おおやけにはなっていなくても、検討はされているのだろうと思いたいが、
まだだとしたら、ぜひぜひ検討していただきたい。
これをご覧になっている大学職員上層部の方おられるかしらん?
(いないか...)

アメリカの大学は、9月から5月という学事日程を組んでおり、
6月7月8月の三ヶ月を夏期休暇である。
日本でもそれに倣って同じような学事日程を組む。
入試は5月にやる。

なんでもアメリカの物まねすりゃいいってもんじゃない、
と怒る方もおられるかもしれないが、
明治文学の研究者河野至恩さんが、
『三四郎』の頃は9月始まりだったと指摘しておられる。
つまり、明治時代に戻るわけだ。


メリットはたくさんある。
まず、研究者としては海外の学会に行きやすくなり、
海外研究者との共同研究もしやすくなる。
今の日程ではこっちに3週間、あっちに一ヶ月てな感じで空いていて、
その間に会議も入ってきたりすれば、結局腰を据えて研究できない。

学生や大学の中にいらっしゃらない方はご存知ないと思うけれど、
大学の教師には授業の他に運営の仕事というのがあって、
超人的な体力と能力がある人以外は、学期中に研究ができる状態ではない。
少なくとも、体力のない私には無理である。
3ヶ月の研究期間があると思えば、それ以外の時間にやらされる
運営の仕事にも身が入るってものである。

大学は6月から8月の三ヶ月の時間をうまく使って、
語学系のサマースクールを開講したり、
一ヶ月半の集中講義を企画したりできるし、
そこに非常勤講師を雇えばある程度若手研究者の経済的サポートもできる。

その間は正規の授業より規模を落とすから、電力消費もむろん落とせる。


学生は集中してバイトをして金を稼げる。
そうすれば、学期中のバイトを軽くして学業に専念できる。
ボランティアだって、インターンシップだって、海外放浪だって、
一ヶ月やるよりは、三ヶ月やる方がためになる。

高校3年生は受験が終った後、思いっきり羽を伸ばしてもらって、
大学に入学するときまでには、しっかり勉強する気持ちになってもらう。

もちろん、留学生の流れもスムースになるだろう。
これから日本に来たいという留学生は確実に減るのだから、
できるだけ来易い形を取るべきだろう。

もっと言えば、大学生は3年4年の大半を就職活動にとられてしまい、
勉強ができない状況である。これも少しは是正されるかもしれない。
そしてついでに企業の新卒採用偏重もただしてほしいものである。
私はいまだに「新卒」になぜこんなに意味が貼付けられているのか、
まったく理解できない。ほんっとにできない。

これから日本が迎えるであろう緩慢な死を少しでも先延ばしができるとすれば、
若い人材の育成しかない。
多少は名前が通っているはずの大学の学生が、母国語であれ外国語であれ、
本も読めず、文章も書けず、論理的思考もできず、想像力もない、といったことでは、
情けないだけでなく、他の国の大学生に太刀打ちができない。
脳みそが伸び盛りの3年生4年生が就職活動にエネルギーと体力を吸い取られて
精神力を摩耗させていくのを見るのは、教師としてはとてもつらい。
教育に力を注ごうにも、それができないのだから。


思いつくまま、いろいろ利点を挙げてみた。
もちろん、シロートの言うことだから、気づかないことがたくさんあるだろう。
実際、大学のシステムを作っている方にどんなデメリットがあるか、
うかがってみたいものである。

小、中、高を一斉に変えるのが難しければ、大学だけでもなんとかならないのか。
どなたにお願いすればいいのか、よくわからないけれど、
ご検討のほどをお願いしたい。お願いしたい。お願いしたい。

ヨロシコ。

| | TrackBack (1)

« May 2011 | Main | August 2011 »