日常

October 31, 2009

また再びの・・・

私の文房具好きをご存知の方は、
「また文具ネタ?!」と思われることだろう。
ごめんなさい、また、です。

■文房具好きの方のブログなどを見ていると、細かい作業が得意な人が多い。
デザインセンスにも優れた方が多いように思う。

私は文房具は大好きで、それなりに言いたいことはあるのだが、
自慢じゃないが、性格が大雑把。
恒常的に手元不如意で、落とすわ、壊すわ、倒すわ。
細かい手仕事が苦手で、線もまっすぐ引けないし、紙もまっすぐ貼れない。
デザインセンスはまるでない。(ついでに運動神経もない)
一度など、主宰した研究会のチラシを自分で制作したところ、
学生に「そば屋のお品書きですか」と酷評された。
(まだ覚えてるよ、S大学でIゼミだったTくん)

だから文房具を選ぶときの基準として大切なのは、
まず、私が粗雑に扱っても壊れないくらい頑丈であること。
そして、私が使ってもそれなりに美しい結果が出ること。
こういう文房具がまた、デザインがよかったりするから、
不思議なものだ。

■でっかい鞄の中にじかに放り込まれたくらいでキャップが取れちゃったりする
ボールペンなどはもちろんだめ。
イタリアものなどは色がキレイなので、心惹かれるのだが、
けっこう高い物でもすぐ壊れたりする。
私の筆記具にドイツものが多いのは、そういう理由かもしれない。
モンブランのマイスターシュテックなんか、
私が今持ってるアクセサリーのどれよりも高いが、
その代り頑丈この上ない。
まともにメンテなんかしないのに、である。

ペンで言うと、女性向けと称して万年筆専門店などで売っている細身のペン。
あれもすぐ落っことすので、だめ。
ぎゅっと握って、がしゃがしゃメモをするため、
太い軸がどうしても必要である。

■ノートは方眼が好きである。
無地は論文の見取り図などを図にするときに使う、
ニーモシネの一冊のみであとは方眼に徹している。
大雑把に書いてもそれなりにキレイに見えるからである。
切るときも、いちいち測ったりしなくていいし。

方眼でかつ頑丈とくれば、モールスキンのスクエアドに勝るものなし。
一つの研究プロジェクトに3年は最低でもかかるから、この間、
カバーなんかかけずに鞄から頻繁に出し入れされ、
時には図書館の書架に、ばんっ、と置かれたりするような扱いに
耐えられる造りが必要である。

■のりは小学校時代から相性が悪かった。
量が多すぎてぼよぼよになったり、あっちこっちに張り付いたり。
手について乾いて皮みたいになるのも嫌だった。
テープ式ののりを使ったときの感動は忘れられない。
私でもキレイに貼れるじゃないか!

■削りかすが散らからない小さな鉛筆削り、
折った刃が外に出ないカッターの刃折り、
貼っただけで分類できる付箋のインデックス、
再生紙でもひっかからない2Bの鉛筆芯、
決まった形で日付を入れて統一性をだしてくれる事務用の日付スタンプ。

どれも今の私になくてはならない、
不器用でがさつな人間のための文房具である。
『ぶきっちょさんのための文房具』なんて本があったら
すぐに買うのにな。

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August 25, 2009

ショパンと腰痛

自分のキャパシティを超えたことをやろうとすると、
カラダにつけがまわって来る。
これこそが年をとるということである。

私がショパンのバラードを弾いていたのは、
花も恥じらうセヴンティーンの頃、
化粧するでもなく、イヤリング一つつけるでもなく、
親の言いつけどおり3時間も4時間も真面目にピアノをさらって、
確かに集中力を維持するのはなかなか大変ではあったけれど、
カラダの方には何一つ異変は起こらなかった。

あれから30年近くたってピアノを再開して3年あまり、
ようやく指も多少滑らかさを取り戻し、気持ちもほぐれてきて、
ちょっと難易度の高い曲をやってみようか 、あの頃は弾けたんだからさ、
などと色気を出したのが運の尽き。

もちろん、いまは別の本業がある身、一日に3時間4時間も弾いたわけじゃない。
せいぜい1時間、それも一日のあっちこっちの時間をかき集めて
それくらいである。

それなのに。
練習を始めて3週間たったころ、まず右アシの付け根に痛み。
ついで左のコシに痛み。ビテイコツにも痛み。

ショパンはペダルを多用する。
それも私程度の素人技術でも、
3段階くらいは異なる力配分の踏み込みを必要とする。
右コシの痛みはそれが原因だ。右をかばうから左もおかしくなる。
もともと西洋人男性の手の大きさを基準にした楽器。
骨格の貧相なアジア女は技術と格闘しようとして前のめりになってしまう。
嗚呼かわいそうな私のコシ!

たまらず整体師氏のところへ駆け込んだ。
治療台の上で、私のカラダはへしゃげた蛙のようにされ、
「ヨガやってる人がなんでこんなに骨盤ずらすの」
という整体師氏のあきれ声を聞く。

「だいたい姿勢が悪すぎ」「これが本来あるべき姿勢」
ぐぐっとカタを開かれ、セボネに整体師氏の膝がめり込む。
でも一時間半の治療が終ったときには、コシはかるーくなっていた。

もっともまだ無理はできない。
今はペダルを使わずもっぱらタッチの明晰さを出す練習にいそしんでいる。
どうやら私は、不用意な屈伸にすぐ異議申し立てをするこの厄介なコシに、
もう少しつきあわねばならぬようである。

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August 20, 2009


私は空港に向かっている。
この飛行機を逃すと日本に帰れない。絶対乗るのだ、と思っている。
それなのに、私は出発時刻を正確に知らない。
ただ遅れそうだ、ということだけ知っている。

周りの人々は優しく、暖かく、私を送る会を催してくれている。
なのに、私は出発の時間が気になって気になって、
ちゃんと彼らに応対することができない。

ごめんなさい、ごめんなさい、こんなにしていただいたのに、
と呟きながら、それでも私は空港を目指す。
空港に行くには私が普段は通らない猥雑な町並みを
通りすぎていかなければならない。
品物を積み上げた市場の細い路地は、嗅いだことのないような、
複雑なスパイスの香りがし、狭い階段にはモノが溢れ、
肌の色の違う男達が私をじろじろ見ている。

ごめんなさい、ごめんなさい、
私は日本に帰らなければならないの、
どうしてもあの飛行機に乗らなければならないの、
ごめんなさい、ごめんなさい。。。
私は東洋人の人形のようにぺこぺこ頭を下げながら、
卑屈な愛想笑いを浮べて、先を急ぐ。

空港は、恐ろしいほど近未来的で、
銀色に輝く、上が見えないほど長いエスカレーターを
上がっていかなければならない。
一列に並んで横を開けるなどというルールを持たない人々を、
右へ左へ掻き分けて、ああ、遅れる、遅れる、と
私は動かない足を引きずってどこかを目指す。

待って、待って、置いてかないで。
私はそれに乗らないと日本に帰れないんです。

涙で喉がきゅっとなって、目が覚めた。

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July 26, 2009

楽器の愉しみ方


パリにお住まいの音楽一家の演奏会に行く。

演奏会といっても小さなクラシック音楽専門のライブハウスである。
そんなものがあること自体、私は知らなかったのだが、
入っても20人強というライブハウスで、
飲み物や食べ物をいただきつつ生演奏を聞くというスタイルである。
日本でクラシックと言えば、
コンサートホールの狭い座席でしゃっちょこばって聞くスタイルしか
知らなかった私にこれは新鮮だった。

もっとも演奏は「雑歌屋」というお名前にふさわしく、
クラシック以外にもジャズナンバーあり、シャンソンあり、ミュージカルあり。
日本の暑さにグロッキー気味のクラリネット担当の息子くんと、
ピアニストのだんなさん。
だが家族でステージに立つというのはやはり格別の思いがあろうし、
見ている方はその幸せのお裾分けをいただいた感じである。


人が集まるとなんとなくそこに楽器があり、音楽が始まる。
そんな音楽の楽しみ方を、私は長い間知らなかったような気がする。

私の子供の頃の愛読書に福音館書店の「大きな森の小さな家」シリーズがあった。
アメリカの開拓者の娘ローラ・インガルス・ワイルダーが、
自らの体験を詳細に綴ったもので、馬車で移動し、
土地を開墾し、丸太で家を建て、そこで家族だけで暮らす。

後にテレビドラマ化され、
レーガン保守政権の家族イデオロギー宣伝に使用されたため、
なんだか妙な具合に敬遠することになってしまったが、
私がアメリカという国の歴史的な理解を重要な部分で
下支えしてくれた書物には変わりない。

開拓地の、娯楽といって何も無い場所で、
夜になるとお父さんが持ち出すのはヴァイオリン。
たまに隣人が集まると、そこでもヴァイオリンが鳴り、
ダンスが始まる。人々は歌い始める。


我が実家でもピアノがあったし、チェロもあった。
我々姉妹は他の家庭よりはるかに音楽に近かったと思うが、
娯楽のために楽器を奏でるということは皆無だった。
ときどきお客様があると、ピアノを弾かされたりもしたが、
それは親の娘自慢のためであって、
客はうまくもない演奏をそれこそしゃっちょこばって
聞かされるのであるし、弾いてる方もまあおもしろくない。

アメリカで暮らしているとき、たまたま友人のボーイフレンドが
ピアノ弾きだったことがあった。
部屋にはピアノがあり、私はそれを弾かせてもらったり、
彼の伴奏で歌わせてもらったりしていた。
あれは楽しかった。
生の楽器の音を、生活の一部にする楽しみ。
上手く弾くことを要求されない楽しみ。
聞き手は耳を澄ませて聞く必要なんかないのである。
料理しながら、掃除をしながら、おしゃべりしながら、
体で音を受け止めればよい。


楽器の音色がいつもいつも家の中に溢れているおうち。その幸福。
そりゃ音楽一家であることの苦労や苦悩もあるのだろうと一方では思いながら、
そんなことをこもごも考えた。

こういう楽器の楽しみ方、今からでも学び直せるだろうか。

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May 12, 2009

見舞う


訳あってある方の入院のお見舞いをしたいと思った。
なにを持っていくべきか。

スタンダードは花だろうけれど、人付き合いの多い方である。
花はもうたくさんもらっておられるかもしれない。
それに知らない街まで行かねばならないので、
センスのいい花束を作ってくれる店など知らない。
とりあえずゴージャスだったらいいだろう、と言わんばかりに詰め込まれた花束は、
私は大嫌いである。


母に相談をした。
「なんか香りもんがええんちゃう」と即答が帰ってきた。
「なんで?」
「前に贈ってすごい喜ばれたことがあんねん」

入院となると服の着替えなどはままならない。
しかし、日常より多くの他人に会わなければならない。
もちろん病人なのだから着飾ってる必要なんかないのだが、
やっぱり何か「着替える」という行為に代わることがしたくなるだろう、
そのときのために「重宝したはってん」という。

なるほど、とは思ったが、香りを選ぶというのはなかなか難しい。
好みがはっきりしているからだ。
香水は強烈すぎて病人には向かないだろう。
純正のアロマオイルは医療効果もあるらしいので、
治療のさまたげになってはいけない。

ルームスプレイにもなるオーデコロンで、
できるだけ自然の香りに近いもの。
結局、フィレンツェの修道院で中世以来の製法で作られているという、
ふんわりとした香りのオーデコロンを選んだ。


ただ、買おうと思っていた小瓶がなかった。
入院の期間内に使い切るのは無理な量を買ってしまうことになった。
香りと記憶は密接に関わりあっている。
病気の記憶が香りになって元気になった後にも残るのは、
いかがなものか、とお見舞いから帰ってから考えてしまった。

その点、生花はよい。短命だからである。
病室を去るときに惜しげもなく捨てていくことができる。
そうか、習慣には本当に理由があるのだな、と思ったことであった。

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April 01, 2009

きまりごと

決まりごとが嬉しいというのも、年をとった証拠かと思う。

3月の最終週は、年に一度の恒例イベント、
Association for Asian Studiesという学会のためにアメリカに出かける。
去年はアトランタで、今年はシカゴだが、特に観光をするでもなく、
学会の開催されるホテルから出るのは食事に行くときだけ、という、
簡素な出張である。

アメリカに行くのは面倒くさい。
研究発表をするわけだからそれなりに準備もせねばならないし、
英語だから日本語よりも時間がかかるし、
東西に飛ぶのは時差があって体がえらいし、
大嫌いな空港を通過しなければならない。

特にこの面倒くささに見合う実益があるわけではない。
人に理由を聞かれたら、
「北米に日本学研究者に私の存在を忘れられてしまわないため」と、
それらしい理由を用意してはあるものの、
私はもともとそのような野望が必要な場所にはいないし、
場所がないのにそのような野望を持つような性格でもない。
もし本当に忘れられたくないのなら、
ちゃんと英語で著書の一冊も出す努力をすればよいのである。

だがまあ、一緒にパネルをやらない?と声をかけてくださる方がいる時は、
素直にそれに乗らせてもらって、この面倒くさいことを、
面倒だ面倒だと言いながらこなすのが、
決まりごとの喜びというものであろうと思う。

春のお花見、秋のもみじ、3月のAAS。
あまり満足のいっていない発表原稿を抱えて、さて出発。

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February 17, 2009

再び論文書きモード全開


日記の形態も少し飽きてきたので、
2−3日に一度身の回りの出来事を綴ろうなどと思っていたのもつかの間、
再び論文書きモードに入ってしまった。

そうなるとどうもブログを書く文章が浮かんでこない。
久しぶりにメールでやり取りした中学時代の友人がブログを見て、
「昔みたいに文章があふれでるのでしょうね」と言ってくれたが、
(彼女とは交換日記みたいなのをやっていた)
実際のところ「あふれでる」という状態にはなかなかならず、
あふれでたものを削っていく作業の根気となるとさらに出ず、
更新が滞ることになる。

滞ってもいいではないか、と自分に言いもするけれど、
意見を述べるためというより、
ただ書くという行為を続ける為に始めたブログなのだから、
「書き魔」と言われた高見順の如く書けよ、と
自分を叱咤してしまったりもするのである。


今書いているものは占領期の検閲制度にかかわるものだ。
自分が渾身の力をこめて書いたものが、
誰だかよくわからない相手に無惨に削除される。
その痛みはいかばかりか、などと思う。

でも考えてみれば、なんの制限もなしに書くなんていうことは、
名前を出してものを書く以上絶対にあり得ない。
早い話、せいぜい一日数十人しか読まないこのブログでも、
名前と職業を出して書いている以上、書けないことの方が多いものだ。

坂口安吾は検閲の目を気にせず書いた作家だと言われるけれど、
そして資料を見る限りそうなのかな、とも思うけれど、
それは必ずしもなにも気にせず書いていた、ということにはならない。
彼は彼の気になるポイントがどこかにあったはずだ。


さて、もう自分に許した20分の自由時間は終了。
論文書きに戻る。

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January 07, 2009

雪の京北町より

毎年恒例、実家の猫たんたんの「なんやねん顔」で、 新年のご挨拶です。
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「今年もうっとうしい奴がきよった」


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「写真撮るの、やめれ」


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「やめれっちゅうのに」

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「ええかげんにせえよ。。。」

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「ああもうっ!!!!」

ちなみに写真がぶれてるのは、撮ってる人の腕が悪いのではなく、
撮られている被写体に問題があるせいです。
(「嘘つけっ!」)

今年も<ことば>ノートをどうぞよろしく。

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November 01, 2008

村上開新堂でランチ


「どっか行くべ」という名前の友人グループがある。
これは「どっか(おいしいとこ)行くべ」の略であり、
どこからかおいしい食事ができる場所を探してきて、
連れていってくれるのである。

ここしばらく根をつめて論文を書いていたので、
えーい、いいやいちんちくらい、自分へのご褒美だい。

で、本日は村上開新堂

ディナーは一見さんお断りらしいのだが、
ランチはシモジモの人たちもオッケーというので、
予約を入れていただいた。


半蔵門の大使館立ち並ぶ一角、
「ここらへんかなあ」と立ちどまってうろうろすれば、
ギャルソン姿もすっきりと、さわやかな短髪のおねいさんが、
物腰優雅に招き入れてくださる。

ここでお待ちください、とかけたソファの前には、
このレストランが乗っているらしき『ミセス』なる雑誌。
本屋にあっても決して手にとることはない雑誌だが、
次々にドアーを押して入ってくる女性客は、
なるほど『ミセス』から抜け出てこられたような、
高級そうなお召し物。

ワイズのおひきずり風を着ていた私は気後れしそうになったが、
そのうち「どっか行くべ」グループの面々が到着し、
彼らもどこからどう見ても気ままな自由業のいでたちだったので、
ようやく落ち着いた私である。


アミューズからびっくり仰天。
魚介のコンソメゼリーにこっくりとしたクリームが乗り、
なんと風味豊かな。

続くお料理に期待も高まる。

私の前菜はフォアグラ入りのクロケット。
フォアグラ自体は5ミリ四方くらいの固まりが中に入ってるだけだが、
ソースが濃厚なフォアグラ味で、いやおいしいおいしい。

かぼちゃのスープは、なんのてらいもないもので、
それでいて野菜のうまみが体に染み通るような。

こういうポタージュは半分くらいバターとクリームじゃないか、
と思われるようなのが多いものだけど、
さらっと入っていった。


さて、メイン。
私は山うずら。少し甘めのソースがかかっている。
フレンチは本当にフルーツの使い方が上手だ。
きのこのソテーも日本のきのこではないらしい。
少し臭みのあるもも肉にかぶりついて。

K氏のビーフ・ブルギニオンも、他の女性陣の鯛のポワレも、
どれもたまらなくおいしそうであった。


さて、デザートは、となると、モンブランかゼリーの2種類だという。
私はモンブランは嫌いじゃないが、さりとてものすごく好きでもない。
ゼリーは大正時代の創業以来のお味だということだったので、
それにした。

まだゼリーなるものが日本に入っていなかった時代とて、
できるだけ和菓子の食感に似せて作ったというそのお菓子、
ゼリーというより羊羹とかういろうかというバウンシーな歯ごたえ。

谷崎潤一郎の「痴人の愛」を思い出す。
キャラメルやチョコレートが日本でも製造され始め、
中流階級の口に入り始めたころか。


どの皿も香り豊かですべてがおいしかった。
メインもおいしかったが、付け合わせの野菜がとてもよかった。
季節が変わったらまた来たいね、と食いしん坊たちは、
可能なら今から次の予約をいれかねないくらいの勢いで。

平日のお昼に出歩ける自由業のありがたさ。
全員が少しエンゲル係数はお高め。

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September 29, 2008

「あいるらんど」再考


以前、丸山馨の「汽車にのって」について、
司馬遼太郎の本で有名になった、と書いたのだが、
あの後、数名の方からその認識は間違っているという、
ご指摘をいただいた。

まず昭和40年代に合唱曲になっていた、というのを、
寡聞にして私は知らなかった。

こんな歌だそうです。↓
http://www013.upp.so-net.ne.jp/chorus_at_home/songs/kisyani_notte/kisyani_notte.htm

音楽教育はかなりびしばしやられていたと思うのだけれど、
テレビはあんまり見せてもらえなかったからかしらん。

でもここでは「あいるらんど」という表記にはなっていない。

司馬さんも曲の方をご存知だったのでは、というのが、
私の友人の推測であった。


もう一つ。
私が写真で載せたダブリンのお宅だが、
確かに30年前なら、
「大学に勤め始めたばかりの若いカップルでも無理なく買えた物件」であり、
「昔はミドルクラスの中から下くらいの人々が住んでいたところ」だったらしい。

ところが、「ケルティック・タイガー」と呼ばれる驚異的成長の余波で、
この辺りの物件も800,000~1,000,000ユーロの値段がついてしまい、
「親から受け継いだんじゃないかぎり、普通に働く人が普通に買える」家では
なくなったとのこと。

つまり、あの家は私が書いた通り「何の変哲もない家」なのだが、
それと同時に、もはや普通には手に入らない「憧れの家」となってしまった、
というわけだ。

普通の家だ、という記憶だけはあるのに、
もうそれすら手に入らないという焦燥感が今のアイルランドには、
あるような気がする、と友人は書いていた。

なるほど。


みなさま、ご指摘ありがとうございました。
ベンキョーになりました。(礼っ!)

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