読むこと・書くこと

August 15, 2009

書けない

不思議なもので、だらだらと日常を書き綴っただけの日記でも、
こころに余裕がないときは筆が進まないのである。
なにかにとらわれているときは決まって、
自分の一日を人さまに知らせてなんになる、などと自嘲の心境に陥り、
いまや日記が書けるか書けないかが自分の(体調ならぬ)心調の
バロメーターともなっている。
なにしろもともと内容がないことを書いているので、
書くことそれ自体がおもしろくないときは、当たり前だが書けない。

夏目漱石の「文鳥」を読んだ。これが凄い。
見事になんの内容もない。
しかし、「た」「た」「た」と連なる短い文が、
独特の間を作り、ユーモアを生み出し、ペーソスを生み出し、
「描写」というものの真髄を見せつける。
漱石先生ありがとう。
なんだか少し元気が出て来たよ。

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April 05, 2009

AAS@シカゴ

■無事、シカゴに着きました。こちらはさすがに寒いです。飛行機のなかでは、三宅花圃の「薮の鶯」を、甘ったるい声でおんなのひとが読み上げるのをiPodで聞きながら、けっこう眠れましたので、体調は悪くありません。ホテルの部屋はかなり古い感じがします。あなたもご存知だと思いますけどシカゴ自体がかなり古い街なのです。Aたちとも同じホテルです。「あんまりおなかすいてないね」「でも夜中におなかすいちゃうからサラダでも食べようか」なんて言っていたのに、結局入ったところはホテル内のステーキハウスで、そうするとそこは日本の朝だからけっこう元気がでちゃって、やっぱり肉を食べようかってなって、三人ともミディアム・レアの肉の塊をがっつり食べたのでなんだか可笑しくなりました。

■前にも説明した通り、AASというのは北米の最大級のアジア関係の学会で、パネルの数も半端じゃありません。中国研究も韓国研究もインド研究もある、文学も経済学も歴史も社会学もある、といった具合でさながらデパートです。でも、それぞれが縦割りなので、知り合いでもいない限り、日本研究の我々がインド研究のパネルを聞きに行くというようなことはほとんどありません。一時はcross-cultural panelといって、地域横断的なパネルを優先的に取り上げようとしたこともあるようですが(私も一回Aにそういうパネルに招いてもらったことがあります)でもなかなか難しいです。そこそこお互いに知識がないと、結局深みのある議論はできずに表層的なことに流れてしまいます。今日は、朝8時半にがんばって起きて明治の翻訳に関するパネルに一つ行きました。あのBret de Baryさんがdiscussantだったので。あの人の言葉の選び方が私はやっぱり好きですね。安心感があります。自分の原稿、相変わらず気に入りません。パネルに行く以外の時間に、まだごちゃごちゃいじったりしています。わかってます、わかってます。悪い癖だって言うんでしょ。自分でもわかってますってば。でも嫌なんですよ、自分の原稿が。でも今回これを書いてみてよくわかったのが、自分は占領下の検閲の問題にあまり興味がないってこと。ああ、こういう言い方はだめかな。興味のあるアングルがまだ見つかっていない、と言った方が穏当かな。これから夕食に行きます。また、明日。

■人前でしゃべるのが嫌いなのになんでこんなことやってるのかな、ってよくあなたに愚痴ったものだけど、朝からまたそんな気分に圧倒されてました、今日は。iPodに付いているストップウオッチで発表時間の確認を朝からやってました。前回の昭和文学会の発表のとき、時間配分を間違えてすごく恥ずかしい思いをした(プロのお仕事として「時間を守る」「構成のある発表をする」「メリハリのある喋りをする」が最低ルールだととりあえず思っているので)から今回は慎重を期しているわけです。発表は5時から。まあもう自分の発表については特に言うことはないです。あまり有意義なコメントももらわなかったし。ただ、同じパネルにね、文化人類学者のTom Looserがいて、この人がプレカリアート関連の発表をしたのね。内容は今一つ私にはよくわからないところがあったので、あなたのために上手に議論を再現してあげることはできないんだけど、ひっかかったのはその後、彼がプロレタリア文学を専門としているある学者と話しているのを、隣に坐っていた私が聞くともなく聞いていたとき。“What is going on in Japan now is really interesting“ とその研究者は興奮した口調で言っていて(もちろん、一連のプレカリアート運動のことね)私、なんとなくムカッときたの。Interestingってなによ、って。一瞬のことで、私はムカッときた自分にびっくりした。あとで整理してみると、たぶんこういうことだよね。その研究者にとっては「興味ある研究対象」であるところの貧困と労働運動は、私にとってはもう少し具体的なもので、それは私が飯田橋でBig Issuesを買うホームレスのおじさんとか、内定取り消しされちゃうかもしれない学生たちとか、行ってみたいと思いながら行けないでもんもんとしている新小川町とか、私に絵を送ってきてくれた日系ブラジル人の子供とか(まあ、それもカラーコピーだったけど)でしょう。つまり私の「ムカッ」は、「アメリカの研究者であるあなたには机上の研究対象でしかなくても、私にとっては具体的なものなのよ」という感情から来ていて、さらにそれは突き詰めると「あなたより私の方が当事者性が高いのよ」ってことなわけよ。そこまで考えて私は自分に突っ込みを入れてしまったよ、「いったい、アンタは何様で当事者面しよっての?」って。日本だったら逆立ちしても当事者面はできないのに、アメリカの研究者相手に当事者面してしまう、このお下劣な根性。それに私はずっとあなたに「当事者言説のうさんくささ」についてぶってたよね。私だって、「自殺願望も持ったことないのに太宰治を研究しようなんて」みたいな非難にうんざりしてきた経緯があるわけだし。ああ、でもこういう「自分」の「一瞬の」「感情」分析の言説それ自体が、私が批判していたはずの90年代の岡真理さんチックだとあなたは笑うでしょう。その通り。で、当事者性ってのは比較においてしか成立せず、したがって(発話者が意識しているいないに関わらず)戦略的なものなのだから、「当事者でない」ということを戦略的に使うことも場面によってはまたあり、というか、それを使わないと「連帯」の言説それ自体が存立しない。少なくとも、私は当事者性を実体化するところにだけはいたくないので、こういうことをあなたに向かって垂れ流しているわけです。こんな風にだらだら書いているってことは、まだ発表の興奮が残っているんだね。長文、失礼しました。

■大会の目玉、東浩紀さん、宮台真司さんのパネルを見ずにシカゴを出ます。パネルそれ自体よりも、アメリカという場所で自分の著書の英語訳という他者を目の前にした経験を、東さんがどのように言語化するか、の方に興味があるので、それはまたおいおい彼の著書なりブログなりで見せていただくことにしましょう。吹雪いています。これで飛行機が飛ぶのかな、とも思うけれど、これしきでMidwestにある空港が閉鎖していてはどうしようもないはずなので、まあ飛ぶでしょう。で、「批評」をLiterary theoryって訳してしまうことにはとんでもなく違和感があるのだけど、この二つの間の径庭についてはまた日を改めて。このごろは、チェックアウトのためにフロントに並ぶ必要ないんだよ、知ってた?

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March 16, 2009

今一度のご案内

もう一度、レクチャー・コンサートのご案内をする。

雑歌屋HP

ここを見ただけでは、クラシック音楽にあまり興味のない人は、
ちょっと足を運ぶところまではいかないかもしれない。
だが、下の記事を読んでいただければこの講演会が、
「文化を記述するとはどういうことか」という、
21世紀において人文系の学問をしている人間にとって、
とてつもなく大きく、かつ、重要な問題にリンクしていることが、
わかっていただけると思う。

講演者の松本直美さんは、私の高校時代の同級生だが、
そのつながりだけでこの案内を引き受けているわけではない。
松本さんの「音楽を文化の一表象として捉えるという視点」が、
私の文学作品を分析する際の問題意識と明確にリンクし、
「一楽曲の背景になる脈々と続く『文化伝統』を、
そして楽曲と芸術の他分野あるいは社会機構との関連を、
意識したnarrativeを試みる」という語り口が、
今の人文学関連の研究すべてに共通するあるアプローチを示現していると
考えるからだ。

<ことば>ノートを覗いてくださっている人たちに向けて特別に書いていただいた、
松本さんのメッセージをまずは読んでほしい。
そして、文学を学問的にやろうと考えている人、
文化表象について考えようと思っている人は、
ぜひ足を運んでほしいと思う。

私と一緒に行きたい方、メールで連絡ください。
一緒に行きましょう。
こっそり行ってみたい方は雑歌屋のHPからチケットが購入できます。

<講演者 松本直美さんからのメッセージ>

■日本で西洋音楽を学び演奏家を目指した私は「なぜ日本人でありながら西洋音楽をやるのか」という問題を抱えながら活動していました。邦楽に全く素養の無い私(あるいは同様の背景を持つ大部分の日本人)には西洋音楽は「他者the Other」と決め付けられない位置にあります。とはいえ西洋音楽を自分たちのものとして定義することもできません。そういった問題意識は特に「伝統」「様式」が問われる古楽(過去の音楽をその時代の楽器・奏法で再現する)を始めたときに強くなり、それを追求するためにロンドンに留学することになりました。

■最初は演奏家として音大で学びました。そんなある日レッスンでパーセルの「狂乱のべス」を歌っていたとき、指導教授に「なぜ当時こういう奇妙な題材の曲(狂乱歌)が多数書かれたのか」を質問したんです。ところがその分野の第一人者であった彼にもうまい回答はできませんでした。この「なぜ」を追求することが私が抱いている問題意識解決への手懸りになるのではないか、と考えた私はこれをテーマに学術的研究を始めることにしました。

■音楽学者として狂乱歌・オペラにおける狂乱の場を研究して10年近くになりますが、結論的にいうとまだ「なぜ」という問題の回答は出ていません。「西洋音楽の定義」も当然、曖昧模糊としたもののままです。ただ、音楽をその音響現象としてだけではなく、文化の一表象として捉えるという視点が出来、一楽曲の背景になる脈々と続く「文化伝統」を、そして楽曲と芸術の他分野あるいは社会機構との関連を、意識したnarrativeを試みることができるようになりました。Clifford GeertzのいうThick Descriptionの私なりの解釈です。

■今回のレクチャーコンサートはまさしくこういった狙いから生まれました。本年、奇しくも共に記念年を迎えるイギリスバロック期を代表する2大作曲家・ヘンデル(1685−1759)とパーセル(1659−1695)の作品を中心とした狂乱歌の文化背景を、史料や絵画のスライド映写と解説、古楽様式の生演奏で綴ります。レクチャーコンサートという形態には色々なものがあると思いますが、私共の主眼は「どの楽曲が誰によって何時書かれたのか」ではなく、詳細な背景から皆様とご一緒に「なぜ」を探ることにあります。音楽の好きな方のみならず、様々な形で「文化」というものを考察していらっしゃる多数の方々のご来場をお待ち申し上げております。

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February 23, 2009

ある意味、身も蓋もなく


少し前のことになる。
朝日カルチャーで開かれた批評家東浩紀さんの公開講座に行った。

たまたま目にしたその講演の宣伝文句には、
「東浩紀が自分の評論を自己添削する方式」で語ることが強調されていて、
「批評の本質論などは語りません!(笑)」と締められてあった。

あくまで具体的に技術に特化するという姿勢がなかなかチャーミング。
「批評の書き方」という講座の名前も、俗っぽくて、やすっちくてよい。

突き詰めるとソコだ。つまり、技術。

批評とはなにか、という本質論は、
批評を書こうとする人間が自分で考えるしかなく、
自分で考えない奴はもうそれだけで失格と考えた方がよく、
朝カル講座、一回3500円程度でいただけると思っているなら、
物を書くことそれ自体をやめちゃった方がよく、
つまるところ、すでに批評家と呼ばれるようになった人が、
他人に伝えることができるのは、
自分がどんな風にして「批評」と呼ばれる文章を生産しているか、という、
ある意味、身も蓋もないハウツウの部分でしかない。

しかし、それはおいしい料理を出している裏の、
汚い厨房を公開するようなもので、
(笑)と書いてはいらっしゃるけれども、
こんな汚いところで作っている料理など食べたくない、と
言われないとも限らないという危険性を持っていることを、
おそらく本人もご承知だろうと思うわけで。

私はもともと職人の仕事場を覗くの大好き。
レストランでも厨房を覗きたい。
ハウツーもの、大好き。
本質を熱く語る人より、
ハウツーを熱く語る人を信用する。

それは結局、本質を消費不可能と知っている人なわけだし、
技術と本質との間の見かけの径庭に騙されない人なわけだし、
performative と constative の差なんか、見分けがつくか!と、
大御所オースチン先生に噛み付いたデリダの心意気でもある。
(本当にそういう関係だったのかはよく知らないんだけど)

というわけで、それなりに楽しかった。
部屋を埋め尽くしたむさ苦しい系の若い(といっても
20代後半から30代)男の子たちが発散する生臭さに、
少々辟易はしたけれども。

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December 07, 2008

再び、<ことば>ノート学生版更新


前回書いたように、学生が補論を書いてくれたのでアップした。
なぜ、前回のエッセイのように考えるに至ったかを、
もう少し具体的に書いてほしい、とお願いしたので、
結果的に書き手の個人史が入り込んでくる、
いわば「私語り」となった。

その「私語り」を紡ぎやすいように、
彼は先生であった私を仮想の読者としている。
仮想の読者としての私はその意味で一種の装置である。
ちょっと<ことば>ノート学生版としては異質に見えるかもしれないが、
そのつもりで読んでほしい。


彼が言及している私の授業は、
私が現在の所属学部で初めて行った基礎演習である。
この第一期生の中の数名は3年生になって、
<ことば>ゼミのメンバーとなった。

また、ゼミのメンバーにはならなかったけれども、
ずっと<ことば>に関心を寄せて、
卒業論文を私に持って来てくれた学生もいる。

私にとっても忘れ難い授業の一つである。

彼のエッセイを読むと、
私は自分がとっても素晴らしい先生のような錯覚を起こすのだが、
誤解のないように付け加えておくと、
この授業が数名の学生たちに強い印象を残したことは、
私たちが授業で読んでいた本、
内田義彦の『読書と社会科学』に依るところが大きい。

学生のエッセイに書かれている、
「聴く」ことに重点を置く授業ということが可能になったのも、
その重要性を平易に、しかし矮小化することなく伝えた、
この一冊の新書のおかげである。


このエッセイの中で、書き手は何度も「自己に向き合う」
という<ことば>を使っている。
しかし、読み進めていくと、
実は彼が向き合っていたのは他者の<ことば>であることが、
明らかになってくるだろう。

授業で発言される他の学生の意見。
「先生」としての私の発言。
そして、なによりも目の前にある文章。

この授業で私はしつこいくらい
「んで、この人はここで何を言ってるの?」と学生に聞き返した。
わかったようなつもりになるな、
要約をして読んだつもりになるな、
徹底して自分の<ことば>に翻訳してみろ。

そんなことばかりを要求していたのを覚えている。

丁寧に他者の<ことば>と向き合うことの困難を知れば、
自分の<ことば>を書き付けるときに安易な気持ちではできない。
絞り出すように書かねばならなくなる。

学生のエッセイを読んで、私は改めて内田義彦に深く感謝した。


ともあれ、読んでいただければ、と思う。
いつものように、手は加えていない。

<ことば>ノート学生版
http://richico.cocolog-nifty.com/gakuseiban/

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November 30, 2008

学生版<ことば>ノート更新


久しぶりとなる学生版<ことば>ノート更新。

もう私の元から離れた学生からこうやって<ことば>ノートが届く。
本当に嬉しいことである。

私は基本的にあまり学生と必要以上の交流はしない。
頻繁に飲みに行ったり、食事に連れ出したりする同僚もいるようだが、
まずそんなことはしない。

私と学生との間には、いつもそれなりに緊張感がある。
私と交流しようという学生は、
その緊張感のハードルを踏み越えてやってきてくれる。

だから、嬉しいことなのだ。


今回は、留学を終えた後、
4年生になる前に大きな方向転換をした学生からのエッセイである。

少し抽象的に書かれているが、
どうしても書きたかったという気持ちが伝わって来たので、
実はもう一本「なぜ、これを書いたか」という自分語りのエッセイも
書いてもらった。

それは本人の了解を得て、機会があれば載せたいと思っている。

とりあえず、左のバーの「<ことば>ノート学生版」から入って、
彼のエッセイを読んでみてください。

文言にまったく私の手は入れていません。
私がやったのは、初めのイタリックの文章を入れ込むことと、
彼がもともとつけていた段落に■のマークをいれたことだけです。


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November 06, 2008

日記好き


しばらく日記を書いていない。
自分では忙しいからだ、と思っていたが、
考えてみると私がブログを書き始めたのは、
キョームシュニンをやっていてめちゃくちゃ忙しいさなかだった。

「よくブログを書く時間があるね〜」と友人に言われ、
それが「そんな暇/元気あるんだったら研究やれば?」
と聴こえてしまったのは私の罪悪感だ。
実際は、体がくたくたというほどまでにはいかないが、
さりとて頭を使う研究をするほどの元気はない、
という奇妙な時間を持て余したせいだった。


ここ数週間は学会発表準備で、
「根詰めモード」にスイッチが入っていた。
私はもともと集中力がない方なので「根詰めモード」といっても、
昼夜問わず研究しているということではなく、
(それができているなら、今頃は終っているはずだ。。。)
テレビを見たり、友人と食事をしたり、家事をしている間も、
論文の細部が頭を去らず、アイロンがけの最中にメモしだしたりする、
そういう状態のことである。

スイッチが入ると、まず日にちの感覚が失われる。
今年は授業もないので、一週間がのっぺりとしていて、
昨日のことだと思っていると三日前のことだったりする。

昨日何を書いていたかは思い出せるが、
風呂に入ってから顔を洗ったかどうかの記憶がない。
洗っていなかったら嫌なのでとりあえず洗っとけと思って洗うと、
風呂を出てから尋常ではない突っ張り感を感じ、
やっぱ一度洗ってたんだ、と思う。

洗濯をして洗濯槽に入れっぱなしで忘れるなんて日常茶飯である。

こうやって書き出してみると、
そりゃ、こういう状態では日記という形式をとりづらかろう、
とあらためて思う。


人の日記を読むのが好きなんだなー、
と気づいたのはここ2、3年のことである。

mixiというSocial Network Serviceに、
ブログを始めた少し後に参加しているが、
比較的丁寧に友人たちの日記もチェックする。

登録をしている友人(「マイミク」と呼びならわされている)の数は
さほど多くはないのだが、ほぼ毎日読む。
毎日読んでいると、会ったことのない人でも、
なんとなく自分なりにその人の日常の「文脈」が読め、
それが読めてくるとなんとなくその人の生活のありようが想像でき、
楽しいのである。


書き手の力量もさまざまだし、関心もさまざま。
スタイルもさまざまだ。
アフォリズム風の抽象化されたセリフのうまい人あり、
「すべらない話」(テレビのバラエティ番組。芸人がそれぞれ、
自分の身の回りの出来事を小話にして語る)風にまとめる人もあり。

完全なる書き言葉の人があるかと思えば、喋り言葉の人もあり。
喋り言葉のなかでも、普段の口調に近いんだろうなと想像させる人がいるかと思えば、
この人、普段こういう喋り方はしてないだろう、
ということが明らかに想像できる、
今風に言えば「キャラだち」している喋り言葉の人もある。

後者は「喋り言葉風の完全なる書き言葉」と言うべきか。

一日にいくつも書く人もいるし、一ヶ月に一つあるかなしかの人もいる。
前者はリアルタイムに近い感覚があっておもしろいし、
後者もいったい何がこの人に今回これを書こうと思わせしめたのだろーか、
などと考えてみるのも一興。


さて、最近気づいたことが一つ。

私は英語で書かれたブログは友人のものでもあまりマメにチェックをしない。
以前は単純に、英語が面倒だからだと思っていたのだが、
もしかしたら別の理由があるのかもしれない、と思い始めた。

今はまだ形にならない考えの段階だけど、
日記という形式と日本語との間の関係が、
英語では違った形で結ばれているのかも、などと考えている。


さて、来週の火曜日までに少し高見順の『敗戦日記』を読み直す。
楽しみだ。

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September 19, 2007

あなたは<なにもの>か


考えれば当たり前のことだから、
ことさら声を大にして主張することでもないけれど、
「わたしは○○です」と人に向けて発話するとき、
それはもともと名づけようの無い、複合的な自分という存在に、
○○という<ことば>のレッテルを貼っているということである。

名づけようが無いという状態が通常であるならば、
名づけは他人(ここには未来の自分も入っている)に向けた「宣言」であり、
その意味において意識的な「パフォーマンス」だ。

しかし、私たちは自分にとっては思いもよらないレッテルを、
他人から貼りつけられることがある。
そんなとき、<ことば>を使って生きていることの不思議を思う。


つい先日のことだ。

私はレッスンをしてもらっているピアノ・スタジオの小さな音楽会に出かけた。
隣に座った上品なワンピースを着て、手入れのよい爪をした女性、
私とほぼ同じくらいの年か、それとも少し上か。
チカダ先生に紹介されたのをきっかけに、
ピアノのレッスンを20数年ぶりに再開したことなどをぽつぽつと話し始めた。

そして彼女はふいに私に聞いた。

「あの、主婦でいらっしゃいますか」

あ、と私は言葉に詰まった。

これは結婚しているか、いないかを聞かれているのだろうか。
それとも仕事をしているか、いないかを聞かれているのだろうか。

「独身です」「バツ一です」「教師です」「子供はいません」・・・
おバカなことに「世帯主です」という<ことば>までアタマの中を渦巻いた。
結局、奇妙な間のあと、「仕事をしています」と答えた。
だが、答えの座りは悪かった。

「仕事をしている」と答えたことで、
「結婚しておらず子供もいない」ということを、
結果的に意味してしまったように思え、
それは私が意図しようとした範囲を微妙に超えていた。


もちろん相手の女性はなにげなく聞いただけなのだろう。
週日の午後2時の音楽会にフラフラ出てこれる40代の女が、
世間で言うところの定職を持っているとは考えにくいから、
至極まっとうな質問だったはずである。

それに私は特に「結婚しておらず子供がいない」ということに、
負け犬的劣等感を持っているわけでもない。
単純に、「主婦」という<ことば>によって何が意味されているのかを、
うまく判定することができなかったのである。

だが、私が<ことば>に詰まってしまったので、
育ちのよさから来るのであろう、優しい気遣いを持ったその女性は、
あ、悪いことを聞いちゃったかしら、という顔をなさった。
私に「結婚もしておらず子供もいない」ということを言わせた格好になってしまい、
私がそれを言いたくなくて一瞬の間を置いたと思われたに違いなかった。

私はその反応を見て、そんな風に思われたことにまた戸惑ってしまった。
でも、それ以上、どう言うこともできなかった。
その女性はとても感じのよい人で、私たちはそういう話題を注意深く避けて、
演奏者たちがステージに現れるまで会話を続けた。


たかだかレッテル一枚のことだけれど、
そのレッテルが広がりのある意味の領域を持つ<ことば>である以上、
貼られる側の人間が広がりを持った存在である以上、
こういう不意打ちは日常的にやってくる。

「私はなにものか」という哲学ちっくな問いに私はあまり関心がない。

だが、「私は<私>をいつどんなときに<なにもの>と言うか」という問いは、
実は文学的な問いであり、私を惹きつけて離さない。

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July 04, 2007

<証言>を聴く


京都文教大学主催で「生活綴り方から戦後を考える」と銘打った
シンポジュームが開かれたので、
東京で開かれていた別の学会を放り出して京都日帰りを決行。

「綴り方」などといっても、
今の学生はおそらくなんのことやら見当もつくまいが、
簡単に言ってしまえば「作文」のことである。

その昔、今では考えられないほど「作文を書くこと」が教育の中心だった時代があった。
敗戦後1949年から1950年代にかけて、である。
山形県の山村で作られた一冊の作文集『山びこ学校』がベストセラーになり、
映画化・劇化されたのが1951-2年にかけて。
その作文指導をした無着成恭は一躍教育界のスターとなった。
今で言うなら、かの「ヤンキー先生」みたいなものである。

映画のDVDも手元にあるが、主演は木村功。
無着本人はこんなに洗練された都会的な風貌の持ち主ではなかったようだが、
そこは「ヤンキー先生」と竹之内豊の懸隔よりはましだったかもしれない。


ベストセラーとなった『山びこ学校』の影響を受けて、
四日市市の紡績工場で働く若い女工たちが作文を書き、出版され、
大人の書く作文として「生活記録」と呼ばれた。

全国で、子供が、大人が、紙の不足するなか、
こりこりとエンピツを握って作文を書き、読みあい、また書き直し、
ガリ版ずりをして作文集を作っていた時代があったのだ。

今回のシンポジュームは、『山びこ学校』で無着に教えを受けた一人、
佐藤藤三郎さんと、紡績工場で生活記録を指導した澤井余四郎さんの
お二人が話される。

まさに「時代の証言者」のお話しが聞けるのである。
悪いが、ガクシャの社交場である学会なんぞに行って、
旧交を温めている場合ではない。


壇上左手には、コメンテーターという肩書きをつけた学者が数名。
右手には佐藤さんと澤井さん。
佐藤さんから講演が始まった。

マイクにむかった佐藤さんは、開口一番に
「自分は何を話したらいいかわからない」とおっしゃった。
学者先生は「生活綴り方から戦後を考える」のかもしれないが、
自分はそんなことをまったく考えたことがない、と。

学問の一部として生活綴り方運動を考えようという人間と、
「生活綴り方運動」という呼び方にすら無縁なまま、
ひたすら山元村の現実を生きてきた人間。
この一言は、その百里の径庭を照らし出す一言だった。


むろん、私はその径庭に今気づいたわけではない。
そんなことは、ずっと前からわかっていたことである。
学者の仕事は、言ってみれば時代の遺体解剖である。
それはその時代を生きた人間と関係があるようでいて、
実は確たる関係がない。
いや、あるのだろうが、その関係は単純なものではない。
だから遺体解剖の<ことば>は、生きた人間の<ことば>とうまく噛みあわない。

佐藤さんがシンポジュームのタイトルに違和感をしめしたように、
こちらがわの学者も彼の<証言>には違和感がある。
だがそれは、彼の<証言>を信用しないということではない。
まったく信用しないのなら、のこのこ京都くんだりまで出てきたりしないのだ。

時代の<証言>は重要だが、
それはその一言一句を信じなければならないから重要なわけではない。
原理的に言って、誰も時代すべてを見通した特権的な証言者にはなれないからだ。
見聞きしたことを証言と呼ぶならば、
それは必然的に限定的な視点しか供給しない。

むしろ、私の仕事は語られた<証言>の<ことば>から、
限定的視点のありようを探り出し、
それを全体的な視点の仮構に正しく使用することである。

私が資料を読み込んだり、戦後を考えてきたことによって得たなにかを、
佐藤さんが知ることはないし、知る必要もない。
逆に佐藤さんが考えてこられたことを私は知らない。

私の頭のなかで、佐藤さんが知りえなかったことと、
私が知りえなかったことの擦りあわされて、何かが生まれる。

それが<証言>を聴く、
耳をすませて聴くということの意味である。


遺体解剖をしてしかわからないことがある。
生きているからこそわかることがある。

私は息遣いの聞こえる遺体解剖の<ことば>を語りたい。
そのためにはいったいあと何年修行すればよいのだろう・・・

私は精神の高揚感と、なんともいえない違和感と、うっすらとした絶望感を抱いて、
東京行きの新幹線に乗り込んだ。

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September 24, 2006

試験を採点する

060924exams

夏の暑い盛りにした試験の採点を、
秋の風が吹き始めた今になってする。

答案用紙いっぱいに書き込まれた、
鉛筆書きの文章を読んでいると、
それぞれの若さが立ち上ってくるようである。

授業の一部分だけが強く心に残ったがゆえに、
そこばかりに執着して書く者。

それとは逆に、頭に詰め込まれかき回されたものを、
そのまま紙の上にぶちまける者。

きれいに整理したいあまりに小さくまとめ、
結局深みの部分を削り取ってしまう者。

反骨精神を履き違えて自らの知識を教師に
ひけらかそうとする者。

短い時間に未消化なまま書かせられた文章であるだけに、
個性と知性の姿がくっきりと浮き出てくる。

これらは全部、若さゆえの未熟ととりあえず呼べるものである。

だが、年をとればなくなるものか、と言えば決してそうではない。
自らを省みて、自分がこれより上等な文章を書いていると、
言い切る自信は無い。

その時々では、
若さの陥りがちな罠を回避しようと全力を尽くして書いても、
今見れば、執着心や自尊心や虚栄心や臆病が透けている。

書く、とはそういう哀しい自分に出会う作業なのかもしれない。

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March 27, 2006

ごめんなさい

一つ前の記事がどうにも気にいらないので、
削除いたしました。
コメントくださった方々、ごめんなさい。
一緒に消えてしまいました。

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March 11, 2006

<ことば>ノート学生版復活、あるいは200個めの記事

基本的に物書きにとって、書いたものの数というのは問題にはならない。
一冊で名を残す人もいれば、何百冊書いても歴史に残らない人もいる。
仮にも「物書き」という<ことば>で自分を名づけたいなら、
書いたものの数をあげつらうことは愚の骨頂だと知らなければならない。

だから「200個目の記事だ」などと喧伝して悦に入っている私は、
明らかにちゃんとした「物書き」ではない。
ただ、いつの日にか自分のことを「物書き」だと呼べる日が来ることを、
心の中で願い続けていることは確かであって、
思えばこのブログはそのためのいささかdesperateな試みであったのだ。

もっとも、ここで私の言う「物書き」とは、
小説家、という意味でも、
ジャーナリスト、という意味でも、
本を出版して生計を立てている人、という意味でもない。

ただただ、自分の満足のいくテクストを産出する者、という意味である。
それが小説であってもなくてもいいし、研究論文であってもいいし、
ジャーナリスティックな文章であってもいい。
まして、それで食っていけるかどうか、なんてことはどうでもよい。
問題はもっと他にあって、「自分の満足のいく」という基準が、
自分でもよくわからぬことだ。

なんじゃ、それは?と言われそうだが、そうなのだから仕方がない。
どうやら書きながら探すしかないらしい、ということもようやく最近わかってきた。
だからかなりの確率で、私が物書きになる日は永遠に来ないのである。

まあ、それはそれとして、これは200個目の記事である。

別にそれを記念してというわけでもないが、
一つアナウンスメントがございます。

「このたび<ことば>ノート学生版」という名前の新しいブログを作ることにしました。」

以前、基礎演習IIAという授業で2クラス、50人ほどの学生を受け持ったとき、
<ことば>ノートという題で一月に一回、
A4一枚限定でエッセイを学生に書いてもらった。

授業とは関係なく、日常生活で<ことば>について考えたことを書け、という
お題の自由作文みたいなものである。
文体は論文調でもエッセイ調でも村上春樹調でも「野ブタ」調でもかまわない。
集まったものにはあまり手を入れずに、
学生だけが入ることのできる非公開のブログを作ってそこで発表した。

私の所属する学部では、
学生たちはレポートだのなんだのを大量に書かされることになっているが、
それが人目に触れることはほとんどない。
担当の先生がそれを見るだけだ。
そして、先生だっていちいちコメントをくれる人はまれだ。
つまり、学生は書いたら書きっぱなしなのである。

でも、本当は書き物というのは、読む人がいて初めて「書き物」になる。
公表を前提としてものを書こうとした経験のある人なら誰でも、
「読者を想定して書く」ということがいかに難しいかということ、
でも実はそれこそが明解な文章を書くために一番重要だ、
ということを知っている。

私は<ことば>をテーマにした基礎演習で、
そのことを学生たちに体で覚えてほしかったのである。

成功したのか、不発に終わったのか、私にはわからない。
ただ、私はなんとかして続けたいな、と思ったのである。
しかし、いろいろとわけがあって結局その授業の後、
2学期間<ことば>ノートは休止した。

それを再開しようというのである。
どれくらいの頻度で更新できるかはわからない。
授業で強制するわけではないから、
学生たちが忙しい生活の合間を縫って新しいものを書いてくれるかどうかも
わからない。
だが、まあ、とにかくやってみよう。

========
私のブログを読んでくださっている方で、ご興味がおありでしたら、
学生たちの<ことば>に関する思考の断片を
読んでやってくだされば幸いです。

コメントをいただくことができれば、なお幸いです。
「読者」の存在を意識すること。
それこそが、彼らの書く力、<ことば>への感覚を伸ばすものだからです。

画面左手のリンクのところからお入りください。
========

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March 02, 2006

明日は金曜日

日曜日からこっち、ほとんど家に引きこもっていた。

デスクトップのスクリーンで音を消して黒澤映画のDVDを流し、
ラップトップでひたすらひたすら書いていた。

30枚。
私にしては驚異的なスピードだ。
溜め込んできたなにかが噴き出したようだった。

この5日間、かかってきた電話は3本。
つまり、ほとんど人と話をしていない。

でも楽しかった。久しぶりに書いていて楽しかった。

論文の出来はまだわからない。
これから2週間ほどは触らずにおいておき、「熟成」させる。
美酒になっているか、それとも腐ってしまっているか、
それくらい時間が経たなければわからない。
「仕上げ」に入るのは、その後だ。

明日は金曜日。
しばらくぶりに外に出よう。

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February 03, 2006

そして、夢バトン

Q.1 小さい頃に何になりたかった?

「小さい頃」は、未だ若々しい父と未だ棘を蓄積する前の母と、
泣くこと以外では意思を表明しないように思われる幼い妹、
家の中にひっそり別世界を作っていた穏やかな祖父と勝気な祖母、
ピアノの音と庭のつばきとお気に入りの絵本に囲まれて、
それ以外の世界が存在することを想像だにせず、
想像したところでそれは絵本の中の幻想の世界でしかなく、
将来何かに「なる」というようなことを考えることすら可能ではなかったような、
自分が自分であることになんの疑いも持たず、
疑いを持たないことにもなんの疑いも持たず、
ただひたすらに存在していた、それ自体が夢のような時間だった。

Q.2 Q.1の夢は叶いましたか?

「小さい頃」それ自体が夢である場合、大人の時間はその夢の喪失から始まる。

Q.3 現在の夢は?

<ことば>と世界の間に亀裂がない、
「小さい頃」の夢のようなつるりとした世界が、
すでに喪失していることをいたずらに悼むことなく、
<ことば>が<ことば>として発せられる瞬間を、
発せられた<ことば>そのものに惑わされずに想像し、
そこに結局発せられなかった<ことば>をも同時に想像し、
自分が安住している世界をひび割れさせるかもしれない、
無数の差異が顕在化する場として自分を夢想し、
その行為を繰り返し繰り返し描く耐性と知性を持ち続けること。

Q.4 宝くじで3億円当たったらどうしますか?

宝くじは、買わない。


Q.5 あなたにとっての夢のような世界とはどんなものですか?

私の「現在の夢」が日常であるような世界。


Q.6 昨晩見た夢は何ですか?

①現実ではすでに結婚した友人に、なぜ結婚しなければならないのかと、
一生懸命聞いている。

②罵倒されてふられた男に、一度でいいから謝ってくれと懇願している。


Q.7 この人の夢の話を聞いてみたい!という相手は?

谷崎潤一郎、蓮實重彦、J. デリダ、竹内好、J.ラカン

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January 30, 2006

差異を生み出す装置

夢バトン。

Q.1 小さい頃に何になりたかった?
Q.2 Q.1の夢は叶いましたか?
Q.3 現在の夢は?
Q.4 宝くじで3億円当たったらどうしますか?
Q.5 あなたにとっての夢のような世界とはどんなものですか?
Q.6 昨晩見た夢は何ですか?
Q.7 この人の夢の話を聞いてみたい!という相手は?

「バトン」はある事柄に関する一連の決まった質問を人に回していき、
その質問に答えていくという他愛ない<ことば>の遊びのようなものだ、
と考えていいのだろうが、
これらの質問は一体誰が作っているのだろう。
非常によくできている。

Q1は、インタビュイーの過去に関する質問である。
Q2は、インタビュイーの過去と現在との関連性を問うものである。
Q3は、インタビュイーの現在と未来との関連性を問うものである。

つまり、最初の三つの質問によって、答える人の過去と現在と未来を、
見通すようなヴィジョンが生まれるように出来ている。
もっと正確にいうと、インタビュイーが過去と現在と未来をどのようにつなげて
語るのか、というところに焦点があてられている。

論理的にいうと、Q2の答えは二つしかない。
過去と現在とが断絶している(子供の頃思い描いてた未来とはぜんぜん違った
ことになってるなあ)と語るか、なんらかの形で接続している(なんだかんだ
寄り道はしたけど、結局なるようになったなあ)と語るかの二つである。
もちろん、どのような夢か、ということは違っていても、
それは単なる変数であって方程式そのものは同じである。

さらにQ3と4の質問は、時間だけでなく、社会的な広がりを問うている。

「夢」と言われると無限大に想像力を広げることができると思いがちだが、
資本主義社会の原理原則に骨の髄まで染められている我々が、
「現在の夢」と言われて思い描くことのできる夢は、悲しいかな、
それぞれの経済的な生活水準によって規定されている。
Q4の問いは、金銭の意識への縛りに非常にうまく寄り添っていて、
自由の利くお金があったらという設定を与えて、
インタビュイーの想像力をストレッチさせている。

3億円という額がまたミソである。
3千万なら自分の家を買って終りだが、ホリエモンじゃあるまいし、
3億円の個人的な使い道を即座に考えつく庶民はあまりいないだろう。
そうすると、それ以外のお金は他人に還元するほかはあるまい。
そこにインタビュイーの社会的な広がりが見えるのである。
ただ、3億円は微妙な値である。
つまり、個人で使おうとして使えない額ではない。
一生働かずに済ませようとするなら、3億円は決して多い額でもないのだ。
ということは、その人が社会的に還元しようとするか否か、という
ところでまず大きな分かれ道ができるようになっている。

Q4は、自分だけでなく他人との共生するということを前提にした「世界」という
<ことば>を使用することで、やはりインタビュイーの社会へのつながり方を
より直接的に問うている。
その他人はまた、自分の知り合いうる範囲の人々ではなく、
あきらかにまだ見ぬ他人、一生会うことない他人を指している。
想像力に地理的な空間の広がりを与えている。

Q6とQ7は、一転して、非常に個人的な問題を問うている。

「昨晩見た夢」は、それまでの「夢」とは意味が変わっていて、
インタビュイーが寝ている間の幻想そのものである。
もちろん、俗流フロイトを前提としている。
その人が現在抱えている問題だったり、体の状態であったり、
という、意識の世界にはのぼらないかもしれない事柄を
示唆する領域として「夢」が使われている。

Q7は、バトンを手渡すという実質的な役割を持っているので、
質問とは言えないかもしれないが、個人的な友好関係の範囲を
聞いているという点で優れて個人的な質問と言えるだろう。

一人の人間の時間軸と空間軸を簡潔な質問で浮かび上がらせる。
しかも、その質問によって得られる答えは質問それ自体によって、
縛りがかけられており、インタビュイーは自由に答えているようでいて、
その縛りを出ることはできないし、
読んでいる側の解釈コードがぶれることもほとんどない。
縛りを出ようとすると、質問を変えるしかなくなり、
それは遊びのルールに反する。

かくして、大枠は共有しながら、少しずつの差異を楽しむゲームが
成立するのである。
こうして生み出された「少しずつの差異」が一般的に「個性」という
名前で呼ばれているものである。
「個性」が「個性」として認知されるためには、
大前提となる何かを既に共有していなければならない、という原理を
これほど端的に体現しているゲームはないだろう。

質問を作っているのが誰なのか知っている人がいらっしゃれば、
ご教示ください。

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January 28, 2006

カラオケ記

過日、カラオケに誘っていただいた。総勢8名。
7時から終電まで、ノンストップで飲みまくりの歌いまくり。
(と言っても、私はほとんど飲んでない)

朝4時起き、夜9時就寝のrichicoさんだけど、
カラオケのときだけは比較的元気で起きていられる。
(センセ、エネルギー全開だったじゃないっすか、という
突っ込みが聞こえる)

今回のメダマは、国際課T氏と留学センターE氏による
男声デュエットである。もうデビューしてしまえ!というくらい、上手い。
以前からのカラオケ友である留学センターのT氏から、
「鳥肌がたつくらいうまいですよ」とうかがってはいたのだが、
伸びのある高音といい、たっぷりした声量といい、
もうほとんどプロである。

また、このお二人、ふだんはシャイでどちらかというと
控えめな男性でいらっしゃるのに、
ひとたびマイクを握ると、目はランランと輝き、
体がリズムをとり、人が変わったようになるのである。
しかしご本人たちに、ええカッコしてやろうというような、
下司な気持ちがまるでない。
純粋にハーモニーを楽しんでおられる様子がわかるので、
聞いているほうも大変に楽しめるのである。

年齢層は20代前半のうら若き女性AさんとHさん、
20代後半だがどう見ても24、5にしか見えない留学センターYくん、
私とタメの教務課H女史、それよりちょい上のT氏の3人が40代、
ETブラザースのお二人はおそらく30代である。

私が「氷雨」なんぞを入れると、40代組からは「おぉ」という声があがるが、
20代組はポカンとしておられる。
そりゃ、そうでしょーね。
彼女らは私が大学生のときに2歳なんである。

もっとも40代組の中でも昭和の歌に偏りがちな私と違って、
H女史は、新しいの古いのなんでもござれの芸達者であるし、
T氏はドラゴン・アッシュを渋い低音を利かせて歌い、
20代組の拍手喝采を浴びておられた。
(私はかつて、ドラゴン・アッシュのお父上、古谷一行のファンであったので、
「燃えよ剣」の土方歳三役なんてカッコよかったんよ~、
と一人で回想モードに入っていた)

まあでも、こうした世代間ギャップ話も楽しいものである。
こればかりは、Pop cultureを共有している人々としか味わえない
楽しみであり、私にとっては日本でしか味わえない楽しみである。

・・・

それにしても、最近の中国語の歌、韓国語の歌の増加は目を見張る。
以前は申し訳のようにカタログの最後に付いていたものが、
一冊の分厚いカタログとなっている。
汎アジアのPop cultureというものが、どのくらいの広がりのあるものか、
無知な私には想像がつかないが、そのうちこういう楽しみ方を
アジアの国の人々とする日が来るのだろう。
いや、もう来ているのだろう。

それは何を意味しているのか。何を共有していることになるのか。
まだ、私にはまったく見えていないのだけれども。

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January 23, 2006

実験

このところ、友人たちが相次いで「ブログ」に対するスタンスの再考をしている。

やっていたブログを閉じた人、完全リニューアルをした人。
ブログそのものをいじるところまでいかなくとも、
ブログという<ことば>そのものの広がりについて考えている人、
メディアとしてのブログの可能性とその限界を常に思考している人。

どの人も、メディア自体がメッセージに介入してくるということを、
そしてメディアそのものがメッセージであるという、
あのマクルーハンの古典的命題を、
アタマでもカラダでもとことん理解している人たちである。

私自身も「ブログを書く」ということについて書かなければ、という気持ちを
持ち始めてからもうずいぶん時間が経っていた。

雑駁な分け方をすれば、私が興味を持っていたのは次の4点である。

①日常生活をフィクションとして再構成する場としてのブログ
②教育のツールとしてのブログ、教室の中以外で「書く」ということについて
考える場としてのブログ
③政治活動のツールとしてのブログ
④学者言語と日常言語の架橋を私の中で作り出すためのツールとしてのブログ

①に関してはかなり熱心に実験をしてきたように思う。
だが、試したいことはまだまだたくさん残っている。
②に関しても、まだ実験の最中である。コンピューターの知識自体が
欠如している私のような人間にどこまで可能なものかはわからないが、
その価値はあるはずだと信じているので、実験はまだまだ続くだろう。
特に「留学」がカリキュラムに組み込まれているウチの学部のようなところは、
遠隔地教育のツールとしてネットを活用すべきだ、という意見は、
強く持っている。できれば、チームを組んで考えたいことの一つである。

このブログの内容に親しんできてくださった方は意外に思われるかもしれないが、
私自身がブログをやるきっかけのうち非常に大きなウエイトを占めていたのは
実は③であった。
「政治活動」という<ことば>は誤解を招くおそれがあり、
今でもそういう<ことば>で私の考えたいことを表現することには、
はっきり言って躊躇がある。
ただ、言えることは、私にとって「政治」は日常生活の中にあり、
①の問題系と切断不可能である、という点だけである。
だから、<ことば>ノートがいわゆる論壇ブログや時事ブログと
言われるものに近しくなることは絶対にない。
そういう「政治」の囲い込みこそ、私がもっとも遠ざけたいものだからである。

④については、すでにかなりいろいろ書いてきたつもりである。
だが、これに関してもまだ試したいことがたくさん残っている。
あったりまえだが、内田義彦や岩井克人にはなかなかなれるものではない。

私も学期が一段落つくこの時期を狙って、一つの実験を考えている。
さあ、どうなりますやら。

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November 26, 2005

尾籠な話

5時に起きると、まだ辺りは暗い。

コーヒーを淹れ、授業の準備。
合間にトイレ・ライブラリーの整理をする。

ここ数ヶ月、トイレに設置した本棚には、
著者献本でいただいた本が積んであった。
非常に申し訳ないことだが、いただいたご本すべてを
すみからすみまで詳細に読むというわけにはいかない。
トイレに入るたびにぱらぱらと見せていただき、
その中で「おおこれは!」と思った部分だけをコピーして
熟読する、というシステムになっているのである。

(このブログをお読みになっておられる
著者の方々におかれましては、
「オレ/ワタシがrichicoに送った本は、
ヤツのトイレに積んであるのか!」と憮然とされて
おられるやもしれませんが、
限られた時間の中で、社会的な礼を失することなく、
かつ合理的にいただいたご本を研究に生かす、よんどころない
システムであるということで、ご理解いただきたい。)

しかし、あまり長いこと積ん読になっていると、
風景の一部と化してしまって、手に取ろうという気持ちが
座してすぐ湧きおこってこなくなるので、
ときどきこうしてたな卸しをする。

谷崎潤一郎の『陰影礼賛』は、
日本文化の粋を論ずるのに厠から始めている。
薄暗く狭いが清潔で、花鳥風月に親しみ、
また虫の音を愛でつつ瞑想する場所。
しかしこのような日本の厠は、決して読書する場所ではない。

第一、その姿勢が読書に向いておらん。

だが電灯が煌々と輝く我が近代/西洋的マンションのトイレは、
谷崎氏には趣味の悪い空間であろうが、
読書をするにはよい環境だ。
暖かく、明るく、膝にも負担がかからず、適度に狭く、
隣の部屋に人がいても比較的孤独を楽しむことができる。

今回のトイレ・ライブラリーに置く書籍の選定基準は、
(1)エントリーが比較的短いこと。
(2)論旨が単純で、丁寧に追いかける必要がないこと。

最近、生活がせわしないので、ラグジュアリーな
トイレ・タイムは期待できない。
となれば、短い時間で読みきることができる、というのは
かなり重要な条件となる。

新しく入れ替えた本は次の通り。

051126toilet_library


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September 18, 2005

懐かしい原稿用紙

文学部のJ先生から、先だっての集中講義に関する学内便が届いた。
分厚い封筒に入っていたのは、私が採点しなければならない試験の解答用紙、
それに添えて、採点の際の要領が書かれた短いメモ。

それだけなら何も珍しくはないのだけれど、なんとこのメモ、
B5の原稿用紙に、万年筆でインクの青色も美しく、
整然と書かれていたのだ。
縦書きで、一字の書き損じもなく。
いかにも文学部の先生らしい。

私が最後に原稿用紙に縦書きで文字を書いたのはいったいいつだったろう?

1985年の年の暮れ、私は京都の大学の歴史学科で、アメリカ1920年代の
人種差別的な移民制限法についての卒業論文をせっせと書いていた。
そのときはこの原稿用紙の升目をボールペンで一字一字埋め、
間違ったところには小さく切り取った升目を貼りつけ、その上に書き足しながら、
下書き・清書を含めて400枚は書いただろう。
ワープロはすでにあったが、卒業論文は原稿用紙で手書きと定められていた。
やはり手で書くことに意義があるなんて議論が、まかり通っていた時代であった。

大学院生として日本に帰ってきたときには、
もうコンピューターで書くのが当たり前になっていて、
発表したすべての論文・エッセイはスクリーンの上でひねくりだし、
フロッピーでお渡ししたものである。

宗像和重氏の「制度としての原稿用紙」(『投書家時代の森鴎外ー草創期メディアを舞台に』岩波書店所収)は、
近代日本語の成立と原稿用紙の制度の成立を重ねて論じたスリリングなエッセイだが、その宗像氏によれば、今の4百字詰め原稿用紙が一般に普及したのは明治40年ごろ。
つまりそれ以降、小説も随筆も、学術論文も新聞記事も、不特定多数の人に読まれる近代日本語の書き物はすべからく「原稿用紙」の上に書かれたことになる。
宗像氏の魅力的な比喩を借りれば、「その文字は、丹精して育てられ、雑草を抜き取られ、やがて活字という黄金の穂を実らせることによって、貨幣と交換されることが期待されてい」たのである。

コンピューターの普及以前には、自分の書いた文章が「活字になる」ということは、
一握りの才能ある人々だけが味わいうる甘美な喜びであった。
すなわち、自分の<ことば>を貨幣と交換できる人々の。
それ以外の、書くことに取りつかれた人間たちは、自分の原稿が「活字になる」日を
夢見て、原稿用紙を一マス一マス埋めていたのである。
もちろんそれらは日の目を見ずに、引き出しの奥深くにしまわれてしまったことだろう。

しかし、今や「活字にな」った自分の書き物を見ようと思えば、
コンピューター上であっと言う間にできてしまう。
だからそれは必ずしも、「黄金の穂」でなくてもよくなったのだ。

原稿用紙の上の手書きの文字と活字の間に存在していた径庭は煙の如く消え去り
書くことはすさまじい勢いで民主化された。
おそらくそれは基本的によいことなのだろう、と私は思う。

久しぶりに目にした原稿用紙の上の文字。
懐かしさも手伝って、思わず筆ならぬ指が走り、いろいろと書いてしまった。
400字詰め原稿用紙50枚分の論文書いてなきゃいけないのにね。

050918genkooyooshi

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August 16, 2005

帰郷(2)

050815shuuraku
帰郷、と言っても私はべつにここで育ったわけではない。
ここで育っていたのならば、手のひら大の蜘蛛が出ようが
部屋の中でコオロギが大合唱しようが、天井裏で小動物が
運動会をしようが、驚くことはないのである。
だが都会の生活に慣れきった私は、ここに来るたびに東京の
マンション仕様の身体を持て余す。

まず、湿気。
市内に比べれば温度は低いが、外は「草いきれ」とでもいうのか、
息苦しいほどである。
隙間だらけの日本家屋だから、もちろんクーラーはない。
除湿機などまるで存在価値なしである。
中庭に面している障子は、夜中も開けっ放し。
いくら涼しいとはいえ、外気の中で寝るのに
慣れない私は熟睡ができない。

そして、虫。
殺虫剤というのは、虫一匹が珍しいマンションだからこそ
意味をなす。ここまで多種類の虫が大量にいると、殺虫剤を使おうかという
気にすらなれない。私の一週間の滞在で殺虫剤が登場したのは
ゴキブリが一匹出現したときだけであった。

それでもって、土。
毎朝土にまみれて野良仕事をしている両親は、畑の柵の中にはいらず、
収穫された野菜を並べてデジカメを取りだす私に苦笑するが、考えてみれば
東京では土に触らない。ビニール袋に入った(虫のいない)土を買ってきて
鉢の植え替えをするくらいがせいぜいである。

050817okudosan
まだある。
ここに来るのが盆と正月という「その時期」であることにもよるのかもしれないが、
古い家屋というものには、
やはりその土地で生きて死んでいった人々が
立ち去りがたく残っているもののように思われる。
いや、「立ち去りがたく」などといっては失礼だな。
闖入者は我々の方なのである。
母はこの家に移り住んできた当時、数人の話し声をよく聞いたのだそうである。
「誰が来たんやろ、と思て心配したはったんとちゃうかなあ。」
最近は聞かない、という。畑などを作ってそれなりに生活に順応した両親を
見て彼らも安心したのだろうか。

こんな田舎でぼーっと本など読むつもりで私が東京から持ってきた小説は
エミリー・ブロンテの"Wuthering Heights" 『嵐が丘』。
読み返すのは15年ぶりである。寝床にもぐりこみ、電気を一つだけつけて
少し黴くさいPenguin Classicsを開くと、イングランドの風の鳴る荒野に
立つ二つの古い館の物語は、くしくも死者のおとないから始まるのだった。

The intense horror of nightmare came over me; I tried to draw back my arm,
but, the hand clung to it, and a most melancholy voice sobbed.
"Let me in--let me in.!"

私はどうにも恐くなり、本を閉じた。
こんなに強烈にジャパネスクな場所で、イングランドの古い物語を読んで
恐くなるというのも変な話だが、見えない世界への想像力を喚起する
<ことば>が私を身体ごと揺さぶったかのようだった。

・・・
しかしまあ、どうせ帰って来なくてはならないのなら、
こういう場所も悪くはない。
一週間が限度だが。

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August 06, 2005

教務主任の日々、経験について語るということ

明日の集中講義のための配布物の版下を持って、青息吐息で文学部の坂を登る。
午前中に渡さなければ明日までに印刷してもらえない。
アスファルトの照り返しの中で運動部らしい学生たちがなにやら稽古をしている。
タンクトップの肩を風が抜けていく。
ああ、夏だなあ。
夏休みだなあ。

私の教務主任の任期は今月の末日である。
つまり、あと一ヶ月でお役御免。
この2年間について、いろいろ思うことはあるのだが
まだそれらを納得のいくかたちで語ることはできない。
「研究ができなくて忙しくて大変でした」とか
「いろんな人に会えてそれなりにおもしろかったです」とか
「新しい友達がたくさんできました」とか
「大学という組織についてたくさん考えました」といった
陳腐なフレーズ以外今のところ出てこない。

日々生起し、積み重なっていく「出来事」を、「経験」というかたちで切り分け、
そこに意味づけして人に語ることができるようになるためには時間が必要だ。
より正確に言えば、時間が必要というよりも、自分がその一部だった「出来事」の
集積を、集積として見通す別の認識が醸成されてくるのを待つ必要がある。
認識の再配置。頭のどこかでカチッとなにかが作動し、ばらばらだった印象が
いくつか固まって一つの像のように見え始め、それを契機に<ことば>に
落としていくことができるようになる、その瞬間。
何かについて語りだすためには、それが必要不可欠だ。

ただ日々流れていく「出来事」を、<ことば>にしようとする瞬間に
いったいなにが起こっているのだろうか?
小説を読むときでも、私は「語りだし」の瞬間に心惹かれる。
これは小説の冒頭という意味ではなく、その冒頭の直前の状況、ということである。
その物語を語る人がいるとして、どのような状況下で、一体なにが
語り手にその物語を語りだすことを促したのか、ということである。
漱石の『こころ』で言えば、「わたし」が先生の自死のショックをいかに
受け止め、先生の「奥さん」のショックをいかに受け止め、
あの冒頭の一節を書き始めようと思うにいたったか、ということである。
もっとも、この部分は小説に直接描かれてはいないから、
想像力の領域なのだけれども。

誰に向かって(時には「とはずがたり」に)、何の目的で(あるいは何の目的もないまま)、
何をどのようにして(場合によっては何を語るのかすらはっきりとはしないままに)語ろうとしているのか?
でもいったん語りが始まれば、語りだしの瞬間を取り巻いている偶然は、
つむぎだされた<ことば>の集積それ自体によって必然に変わる--

それが<ことば>をめぐるドラマだ、と私は1人で勝手に思っている。

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July 21, 2005

センセイ、落涙

■この間、とても嬉しいメールをいただいた。先学期の基礎演習を受講してくれていた学生からである。

「以前、基礎演習IIAの授業でお世話になったYです。今回は先生にお願いがあってメールさせてもらいました。それは、もう一度、僕とR君の「ことばノート」を見てもらいたいということです。何故、このようなお願いをするかというと、<ことば>に敏感ではなくなった自分達をもう一度、変えたいというのが一番の理由であります。もちろん、日々の生活を送る中で僕達はたくさんの<ことば>を耳にしているわけで、<ことば>に敏感でなくなったのは、全て僕達の責任であります。しかし、先生の授業を受けられない今、僕達が<ことば>について考える機会が、授業を受けていた時に比べて大変少なったことも事実でもあるのです。そこで、もしよろしければ前回と同じように月に一回ほど僕達の「ことばノート」に目を通してもらえないでしょうか。とてもお忙しい中、このようなお願いをして大変申し訳ございません。返信、お待ちしております。」

■「ことばノート」というのは、基礎演習IIAで課していた月1回、A4一ページ以内、文体自由、ことばに関することなら自由題、というエッセイのことである。それでなくても課題の読書量・レポート量が多かった基礎演習で、この追加の課題は評判よろしくはなかった。それでも、中には「ことばノート」のおかげで、<ことば>に対するアンテナが敏感になったような気がする、と言ってくれていた学生たちも数名いたのである。

■それにしても、このメールは、センセイのツボを見事に押さえている。こう持ちかけられて「よっしゃ!忙しいけどいっちょやったろかい」と思わないセンセイがいるだろうか。<ことば>に敏感でなくなったのは自分たちの責任だと、いったん譲歩しておいて、でも授業で得ていたものが大きかったのだ、とセンセイを持ち上げ、自主的な勉強をしたいので指導してください、とお願いする。さらに、センセイが「お忙しい」事情まで言及して、負担を増やしてしまうかもしれないお願いをしていることを先に謝罪する。このどのステップが欠けていても、「いっちょやったろかい」にはならなかったに違いない。

■この二人は、先日それぞれの「ことばノート」をメールで送ってくれた。そこで二人には研究室に来てもらい、30分ほど彼らの作品を批評した。8月末には彼らはアメリカに一年留学に旅立つ。アメリカからまた、新鮮な驚きに満ちた<ことば>との出会いを自分たちの<ことば>にして送ってくれることだろう。今から楽しみである。

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July 09, 2005

オトナの修行

■大学の先生には長期間にわたって研究をするための「特別研究期間」(通称サバティカル)というものがある。授業なし、会議なし、出校義務なし、で研究に専念してよろしいという、考えるだけで落涙ものの「ご褒美」である。その申請書を書いていたら、1000字以内で研究計画を書け、という要請があった。そこで、自分がまだやっていない研究についてあれやこれやと計画を書き連ねておく。

■「企画書」だの「計画書」だの、というのはオトナの書き物である。学生時代にはこのような「まだまったく形にはなっていないものについて絶対意義があると宣伝する」必要があまりない。ところが、学生時代も後半になり、就職活動などが始まると自分がまだ手をつけ始めてもいない未知のものについて、あたかも熟知しているかのように宣伝する必要がでてくる。私も今までにバケツ3杯分くらいの「申請書」「計画書」を書いてきた。大学院の入学書類、数々の奨学金の申込書、海外研究の企画書、科研費の申請、外部ファンドの申請、学会発表の論文要旨、ああそして毎月のように書かされた博士論文の計画書・・・

■修行ができていなかった昔は、真っ白なスクリーンを前に何時間もウンウンうなり、「計画の概要が書けるくらいなら、私の博論は半分できあがってるワイ」なぞと悪態をつきながら、なんとかひねくりだしていたものである。もともと輪郭もぼんやりとしたイメージのようなものを、あたかも堅固な建物であるかのように書くのは、至難の業だ。しかし、慣れというものはおそろしい。バケツ3杯の修行のおかげで、知らないうちにコツが身につき、今や1000字くらいの「計画書」ならお茶の子になってしまった。

■ときどき学生が私のところに、留学のための「学習・研究計画書」を見てください、と持ってくることがある。おそらく彼らが人生で初めて書く「企画書」である。彼らは一生懸命、自分の考えた計画をそのまま紙の上に再現しようとして苦心している。かと思えば、書くことがないから書けないと言って真っ白なまま持ってくる。

■彼らがぶつかっている壁は、言葉にしてしまえば単純なことだ。自分に焦点を当てすぎなのである。もちろん、自分の計画書なのだから、まったく自分ができもしないことを書くことはできない。それはそうなのだが、実際に人に読んでもらう以上、焦点を当てるべきは、自分の心の中ではなくて、それを読む読み手の側である。読み手はなにを期待しているのか、どんなものを読みたいと思っているのか、書く対象に対してどれ位の知識を持った人なのか。それらを考えれば、おのずと書くべきことや書くべき順番が決まってくる。自分が書きたいことよりも、相手が読みたいことをほんの少しだけ優先すること。この按配なのである。

■学生を見ながら、私は昔の自分を思い出して苦笑する。そうやって、オトナの階段を一歩一歩のぼっておくれ。書くことは「自己表現」だ、という思い込みから、自分を引き剥がすことができたとき、本当のオトナの書き手になれるんだからね。

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May 28, 2005

まあ、こんなものでしょう

少年が目にした店内は細長く、奥の方はぼんやりとうす暗かった。四方の壁は天井までとどく本棚になっていて、ありとあらゆる形や大きさの本がぎっしりとつまっていた。床には大判の本がうず高く積み重ねられ、そこここの机には縁が金色に輝く小型の皮表紙の本が山と積まれていた。(ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』岩波書店 1982年)

■高い天井の上まで壁を埋め尽くす本棚。もちろん、上の本ははしごをかけて登らなければ取れない。棚はどっしりとした木製で、下はふかふかのじゅうたんで、すっぽり体が入ってしまう革張りの椅子。そんな部屋は私の夢だった。その夢が、私の人生のどの場面で形成されたのかは定かではないが、それに近いものが私の目の前に出現するたびに、このエンデの物語の冒頭場面が頭の中に浮かぶ。アメリカ東部の古い大学の図書館。ロンドンの大きな古書店。

■もちろん、これは西洋建築の天井の高さと、地震のない風土、皮を使って糊で閉じる洋綴りの技法で作られる本があって初めて可能な風景である。日本で、それも住宅事情が最悪の東京で、さらに賃貸マンションで、そうした風景の再現はまずもって無理なことくらい承知している。でも、私の心の底に巣食うオクシデンタリズムは、そう簡単には消えてくれない。

■先日、部屋の一壁すべてをおおう本棚を購入した。とはいっても、ちっこいリビングの狭い方の壁。地震大国の賃貸用だから、天井突っ張り型だし、材質はMDF。省スペースに関しては世界一配慮している日本の家具メーカーの本棚だけあって、奥行きはなんと17センチ。配送・組み立てのおじさんが二人がかりで1時間ほどで設置してくれた。

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■理想にはほど遠い。だが、それは言っても始まるまい。本人はこれでけっこうご満悦。えへへ。
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December 27, 2004

クリスマス・パーティ

▲わけのわからぬまま、ブログの世界に足をふみいれて8ヶ月。私にとってはその「総決算」とも言うべきクリスマス・パーティが開かれました。いろいろ写真も撮ったのですけれど、ビジュアルに関してはプロセミプロ、アマですがセンスのあるこの方この方のところに飛んで見ていただいくことにいたしましょう。持ち寄ったそれぞれ抜群に美味しいお料理、人間と同様さまざまな性格のワンちゃんたち、最後のコーヒーにいたるまで素晴らしかった。ホステスのYちゃん、ホスト犬のミンちゃん、ホストのIさん、ご苦労さまでした。そして、ありがとう。

▲「総決算」とは大げさな言い方ですが、このパーティには、Iさんも書いておられたようにオフ会(ネット上で日常的に<ことば>を交わしている知人と実際に集まる会)の要素があったのです。ブログを始めたからこそつながりが出来た方3名と、私は初めて実際にお会いしたのでした。ほとんど毎日のようにブログにおじゃまし、書き込んだり書き込まれたりはしていても、対面すれば「あ、えーっと、どうお呼びすればいーんですかね?」なんて間抜けな会話にもなるし、CさんとYちゃんが戸籍上同じ苗字だったことが判明したりなんかして、サイバー・スペースと対面世界との間のギャップを埋める作業に追われる。でも、それもなんとなく愉快です。5時間くらいたってから、思い出したように名刺交換会が始まったのも、仕事がらみの異業種交換会などでは考えられないことでしょう。

▲なおよかったのは、これがただ「オフ会」でもなかったこと。ブログとはなんの関係もない歯医者さんのKちゃんや衛生士のRちゃんとは、数年前のパーティで一度。ワンちゃんネットグループのAさんやYさんとは、まったく面識がなかった。でもそういう方々がごちゃまぜになって集まった、というのが、奇妙に閉じた「オフ会」にしなかったYちゃん、Iさんの手腕だったと思います。

▲<ことば>を介した人と人との「連帯」のありようについて、ごりごりと硬派な論文ばかりを書いてきた私でしたが(だから「太宰治」だったのね、私の博論は)、そしてその考えの根本的な部分は今も変わってはおりませんが、「ブログ」を始めることによってこの「連帯」なるもののイメージが少々変わってきたのも事実です。クリスマス・パーティのこと一つ書くのに、こんな「コムズカシイ」文章を並べねば気が済まないrichicoの、「コムズカシイ」部分を偏愛してくださる方がいてもいいし、「コムズカシイ」部分はちゃっちゃと読み飛ばして「玄米ライスサラダ」や「三平汁」を偏愛してくださる方がいてもいい。あるいは実家にいるのでたまにしか登場しない猫の「たんたん」を偏愛して、ときどき覗いてくださるいい方がいてもいい。(密かにアクセス数の高い人気のページ、「猫の肉球」。)

▲「対面世界」とネット上の<ことば>世界をつなぐスペースとしての、そこにおける「連帯」の実験場としての私のブログは、おそらくしばらくは続いていくでしょう。みなさま、これからもよろしく。

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November 28, 2004

ブログの効用

このところ忙しくて日記以外にまとまった文章が
書けていませんでした。今回はリハビリ。

▲先週、「早稲田ウィークリー」に私の書いた記事が掲載され、さすがに効果絶大、アクセス・カウンターが一気に倍近く跳ね上がりました。「うほほ」と思っていたら、どうやらほとんどが一回きりのお客様で、今週になったらまた元どおりとなり、少しがっかり。「ま、こういう浮動読者を引きつける魅力が私の文章になかったってことだな」と結論づけて、私の「早稲田ウィークリー」フィーバーは終わったわけですが、書き手である私自身にとってのブログの効用とはどんなものなんだろうか、とも考えます。

▲「ウィークリー」では、このブログを自分の「文章修行」と呼んでみたのですが、それがもちろん第一の効用。でも唯一の効用ではない。

▲私が気づいたもう一つの大きなメリットは、ブログを通じて遠い場所にいる友人に私の近況を知らせることができる、というものです。もともと私は、ささいな日常のできごとを、自分の好きな人たちと共有したい気持ちがとてもありました。ちょっとした感想や感情、意見の種、思いつき、そんなものを「ねえねえ・・・」と伝えたくて仕方がない。根本的にガキなのかもしれません。しかし、オトナの現実では、日々顔をあわせていたとしてもそれはできないし、また友人たちのほとんどが物理的に遠いところにいる。私の「ねえねえ」を共有してもらうことで、実際に顔を合わせているときの時間を濃密にすることができるのではないか、と思っています。

▲そしてこの効用は、おそらく授業にも応用できるでしょう。今基礎演習を履修している学生たちに、このブログを定期的にのぞいてもらうようにお願いしていますが、それは週に一時間半の授業だけではカバーしきれない内容を伝えるというだけでなく、私のヨタ話も共有してもらうことで学生たちの授業へのコミットメントを高められるのではないか、と考えたからです。自分の大学時代、どんな高名な先生の授業を受けていても、結局記憶に残っているのは授業よりむしろ脱線ばなしだったりして、でもそれが今の自分にとって大切な財産になっていたりもする。先生の「裏ヴァージョン」にアクセスがあるような授業も悪くないのでは?と思っているのです。(今のところ、日本語が読める学生さんにしか、この「裏バージョン」が存在しないので、ちょっと不公平になっています。改善の方法を模索中。)

▲そして最後に――これはとても陳腐なので恥かしいのですけれども――このブログは私の中にある「自分を表現してみたい」という欲望のあらわれです。「自分」と「表現」へのこだわりは、近代人特有の「病」のようなものです。そこにさらに、日本語における「(小説や詩という意味ではなく書く・読むにまつわるすべての言説という意味での)文学」というパラダイムが歪んだ形で構成した欲望が加わっています。それは歴史をひも解き、文学理論を少しでもかじっていればほとんど常識に類することなのですが、私はどうやらたっぷりとそれを自分の中に蓄え、時折外に出してやらないと暴走しそうになる、どうしようもない病人であるようなのです。

【追記 12・2・04】この最後の一段落は、書いてみたものの(結構勇気がいることなのよ、業界の人にはわかると思うけど)自分でも大変座りが悪い文章だなと思っていて、何度か書き直そうとしてうまく行かなかったので、これはこれで置いておき、とにもかくにも座りが悪いことだけを追記しておくことにいたします。今の私に言えることは、私自身「病人」であると同時に、その「病気」を解明せんとする「医師」でありたいとも切望しているということだけです。「表現」への欲望、「自分」なるものへの執念、これらは自分でそれについて「書く」ことによってしか、解明されないのなら、私は書き続けるしかない、と思う今日この頃です。

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October 10, 2004

ジャック・デリダの死

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ジャック・デリダが亡くなった

■90年代前半にアメリカの比較文学科で、文学を学んだ私にとっては、デリダの名前はほとんど神に近かった。なかでも初期の作品 "Of Grammatology"や "Writing and Difference" は、英語訳版と日本語訳版を見比べながら難解な文章と格闘しながら読んだ。(残念ながら私はフランス語が読めない。)でもこの経験が、<ことば>に関する私の基盤を作ったことは間違いがない。 博士論文を書いている間は、繰り返し繰り返し"Limited Inc." を読んでいた。翻訳論の論文を書いたときは、"Des tours de Babel"や『他者の言語』を机の脇において書いていた。

■デリダの思考を<理解>したとは、今でも私はとても言えない。その証拠に、私は彼の本から文章を引用することができない。デリダの<ことば>をコンテクストから取り外して、自分のものにすることが未だにうまくできないでいる。でも、時と場所とメディアと内容に応じて、変幻自在になるデリダの文体は、深いところでその内容より多くのことを私に語ってきてくれたような気がする。

■哲学と文体と言語と歴史。これらのことを同じ平面で思考できるようになったのは、やはり学問を志す人間としての自己形成期にデリダと出会ったことが大きかった。最初に読んだ"Of Grammatology"の英訳版の翻訳は、北米のポストコロニアル研究の第一人者となったガヤトリ・スピヴァックである。英訳版に頼らねばならなかったがゆえに、スピヴァックを通してデリダに出会うという、幸運な出会い方を私はしたことになる。

■もう「脱構築」が時代遅れになって久しい。90年代後半にアメリカに帰ってみると、ポストコロニアルやカルチュラルスタディーズ全盛となった、比較文学科の院生のreading listから、デリダははずされてしまっていた。でも、たぶん私はこれからも、デリダを読み返そうとするだろう。システマティックに読書会でもして、読み返したいものだという気さえしている。

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■心からの敬意と哀悼と、学問的決意をここに表す。

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October 02, 2004

模倣する

通勤途中にあるこの建物。見るたびに「模倣する」ということの、
おもしろさとむずかしさを考えます。

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▲芸術作品であれ、書き物であれ、なにかに強く心惹かれたとき、それを真似てみるという衝動が生まれてきます。自分もいつかこのようなものを世に送り出してみたいと思ったとき、まずその第一段階として「模倣する」行為が出てくるのは自然です。私も昔、大学院生だったころ、自分が「こんな風に書きたい!」と思った論文の「模倣」をしたことを思い出します。言い回しを真似して使ってみる、文章の区切り方を真似する、議論の展開を真似する。画学生が名画の模写をするように、私も論文の模写をしていたわけです。

▲世間一般の常識的には、「模倣」というのは、ヨロシクないことだと考えられています。「オリジナルであること」があまりに尊ばれているので、「模倣」はオリジナリティの欠如ということになり、だめであること、いけないことの代名詞のようになっているのですが、ディコンストラクションが問題にしたように、「オリジナル」なるものがまず「模倣」ということがないと成立しない、不安定なものなので、「オリジナル」がよくて「模倣」が悪いといった順位づけは意味をなさないと言えます。

▲むしろ、「模倣」を考えるとき生産的なのは、「模倣」がなにを生み出すのか、ということなのかもしれません。この写真の建物は、大変お金と手間をかけたガウディへのオマージュであり、心からの愛であると同時に、建てた人がどのようにガウディを解釈したのかということを表しています。もしこの建物が、質のあまりよくないガウディの「模倣」のように見えたとしたら、それはこの建物を建てた時点での、その人のガウディ解釈の限界を示しているのでしょう。「模倣」は、模倣者の限界を、模倣者自身に知らしめる。

▲しかし、考えてみれば、今の段階での限界は、そこから先へ進むための足がかりでもあるんじゃないか。模倣がsincereであればあるほど、可能性はそこから広がっていくのかもしれません。この建物を建てた人は、この建物に満足しているのだろうか。それともどこかに、もっとsincereな模倣を作っているのだろうか。

▲こんなことを考えながら、今日も出勤。

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October 01, 2004

線を引きながら本を読む

新学期が始まりました。
基礎演習の一年生も、新しく来た留学生たちも、
熱意と希望にあふれた顔がそろいました。

▲先日行った第一回の基礎演習。どうやら授業に参加しているほとんどの人が、ペンを持って線を引きながら読むという習慣を持っていないことが判明しました。この学期中に、ぜひこれを身につけていただきたいと思います。本につける線や書き込みは、他人が書いたテクストをあなた仕様にしていく工夫です。印をつけるまでは、そのテクストは他人の<ことば>ですが、それがあなたに読まれあなたが何かを感じた場所に印をつけていくことであなたの<ことば>になっていくのです。読み流すのではなく、テクストをあなたの「血肉」にするためには必要な作業です。

▲最初は、線を引くことから始めてください。ペンを手に持って「線を引かなきゃ!」と思いながら読むと、おのずとどこに引けばいいかがわかってくるはずです。次には、一読してわかりにくかったところには「?」、おもしろいと思ったところには「!」をつけましょう。これだけでも、このテクストは筆者の手から離れて、「あなた」の読みの記録になっています。筆者の<ことば>に耳を傾けるだけでなく、それを読んでいるあなた自身の<声>にも耳を澄まし、それをペンで自分の<ことば>として書き付けてください。

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August 17, 2004

物語化の陥穽

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何を考えているんだろう。


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その緑の瞳で
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何を見ているんだろう。
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いったい何を感じているんだろう。
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ミステリアスな沈黙。
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ほんとは、なーんも考えてなかったりして・・・


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August 01, 2004

孤独の友

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▲書くというのは、その対象がなんであれ、とても孤独な作業です。自分の書くべき内容に、自信がまったくないわけではない。でも、それをどのような<ことば>にしたら伝わるのか。それも不特定多数の相手に。

▲不安は尽きません。自分の能力への不安、自分の勉強量への不安、自分の使う<ことば>への不安。

▲いろんな作家や思想家の文章を読んでいると、時空を超えて生き残る<テクスト>の条件はなんなのだろうと思います。自分の書いたものが、「時空を超えて生き残る」と考えているほど、私は誇大妄想狂ではありませんが、論文のようなものを書くという作業をするとき、いつもいつも頭のどこかに問いがかすかに響いている。私の書いている、このテクストの寿命はどれくらいなんだろう。数ヶ月?それとも、何年か後に、読み返してくれる読者はいるのだろうか。何十年か後は?そして百年後は?

▲「そんなこと、あるわけないじゃない、バカバカしい。」という声も、もちろん聞こえます。でも、この問いが頭の中からなくなってしまったら、書くことが今の何百倍もつまらなくなってしまうような気もしています。

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June 04, 2004

花田俊典さんの訃報

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■つい先日、日本近代文学会で講演をなさったばかりの花田俊典さんが6月2日の未明、急死されました。「大きな物語と小さな物語」と題されたその発表は、<ことば>によって何かを名づけるときに不可避に働く暴力についての実感のこもった発表でした。■

■その昔、森崎和江さんにインタビューしたとき、「私は学者で抽象化したり図式化したりするのが仕事なのだが」と言ったら、「でもこういう人たち(炭鉱労働者たち)のことばを抽象化したり図式化したら失礼でしょ」とさらりと返され、「その言葉に打ちのめされて、正確に言うとその衝撃から今でもまだ立ち直っていないのだけど」と言いながら、発表されておられた姿が印象に残っています。■

■豪快な語り口、それでいて繊細な目配り。中心化・周縁化することの暴力にsensitiveでありたいという思いがあふれていました。こんな方が九州で「福岡圏年表」(ごめんなさい、花田さんが使っておられた名前を忘れてしまいました。)なんてものを細かく作っていらっしゃる。「ああ、いいなあ」と思ったのでした。こういう方のお仕事に本当に敬意を払うべきだと思いながら会場を後にしただけに、訃報に驚き、残念でなりません。■

■正直にいって花田さんのお話に、特に理論的に高度なものや目新しいものがあったわけではない。ご自分でも自分の仕事は大したものではないんだ、とおっしゃっておられました。自分はただ、北九州という場所に起こった出来事を掘り起こしてデータベースを作っているだけなんだ、と。でも、同じように四国でも沖縄でもどこでもデータベースができてくれば、東京で起こったことだけがあたかも日本を代表representしているかのような錯覚を持つようなことはなくなるのではないか。「大きな物語は、さすがに同時代を席巻するだけあって、かくも不敵で強大である。」でも、自分にもできることがある。それは「小さな物語」を積み上げ続けることである…でも、それが大変な作業であり、重要な作業であるような気がします。■

■こうやって書くそばから、私は自分がこうやって要約することで、あのときのお話に暴力をふるってしまっているのではないか、という想いにとらわれます。いや、それはそうに違いないのでしょう。本来ならば、年表の名前もきちんと調べ、ご著書も読んで、これを書くべきなのかもしれません。でも、私は、今、どうしてもこれを書いておきたい。そこで、自分の<ことば>の練り足りなさを省みず今日アップすることにしました。■

■このご発表が、日本近代文学会での最後のお仕事になってしまいました。どこかでこれが活字になったときには、また私はもう一度花田さんについてお話をしたいと思っています。ご冥福を心よりお祈りいたします。■

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May 06, 2004

人の論文を評価するということ

皆さんは、ゴールデンウィーク終わったんでしょうか?
私は木曜日に授業がないので、一日だけ長いお休みです。
人が働いているときに休んでいるのは気持ちのいいもんで、
思わず近所のおいしいお蕎麦やさんで「かき揚げ天せいろ」を
頼んでゆーっくり食べさせていただきました。酒が飲めるなら、
池波正太郎ばりに熱燗を頼みたかったところです。
今日は、学者世界の中での<書く>と<読む>についてです。

▲ 学会誌の編集委員をやっています。普通の人はあんまりご存知ないと思うけど、一回雑誌を発行するためには、編集委員は他人の論文を5本から7本も読まなければならないのですよ。読むだけではなくて、その評を書かなければならない。これはけっこうたいへんな、時間のかかる作業です。お金はまーったく出ません。
▲ でも、これがある意味、楽しい作業でもあるんだな。論文自体の出来不出来は別にして、人が渾身の力を込めて書いた<ことば>を読むことってそう多くはないからです。学会誌に投稿してくる人の多くは、これから研究者として一人前になっていこうとする若い院生の人や、年から言えば中堅どころ以上なのだけれども、地方にいてこつこつと研究を続けてらっしゃるんだろうなあという感じの人たちです。だから、気合いが入ってます。こちらもあだやおろそかに読めません。
▲ 井上さんも日記に書いていた蓮實重彦さんのインタビュー「零度の論文作法―感情の瀰漫と文脈の貧困化に逆らって」(『ユリイカ』2004年3月)には、工藤庸子さんの博士論文審査用に蓮實さんが書いたレジュメが載っています。博士論文ですから、それこそ学会論文の5-7本分くらいの長さがあるはずですが、詳細なコメントです。それに見事な文体です。時間をかけて丁寧に読み、丁寧に書かれたことがよくわかります。金にもならず、普通なら発表されるわけでもない文章ですが、渾身の力を込めたであろう工藤さんの博士論文に応える蓮實さんの気概が見て取れます。読んでいて身が引き締まる思いがします。
▲ 恐ろしいことに、人の<ことば>を読んでコメントするとき、読み手も自分の資質を問われています。後に一世を風靡することになる論文が、最初に投稿されたときにはクソミソにけなされて落とされた、なんてことは学者ギョーカイではしょっちゅう起こることなのです。これは明らかに読み手がその書き手の<ことば>を読む力がなかった、ということです。
▲ だから私も委員をやっていてとても不安です。「わからんのは、私が勉強不足ってこと?それとももしかしたら私は根本的にアホなの?もう一回読んでみよう、うーんでもやっぱりわからん、書き方が悪いんだ、いや、待て、もしかしたら…」とのた打ち回る。そして最後には、「もー、えーわ。今の私の力ではここまでしかわからん」と腹をくくって評を書きます。
▲ 年を取れば取るほどそういう不安はなくなるのか、と思っていたんですが、どうやらこればっかりはなくならない。それどころか、だんだん大きくなっていくようです。

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