授業・大学

December 09, 2009

日本近代文学会をWeb中継してみる件


最初に断っておくけれど、
私はまったくのcomputer音痴であり、ましてやwwwの知識などまったくない。
私を個人的に知っている人たちは、私がこんな話をするなんて、
ちゃんちゃらおかしい、と失笑するだろう。

それを前提に話を聞いてもらいたいんだが、
先日、Web学会の第一回シンポジュームを見た。
開かれた場所は東大の本郷キャンパスで、
私はネット上でそのWeb中継を見たのである。


これはちょっと今までにない体験だった。
Ustreamで中継を見つつ、そのすぐ横の画面には、
見ている人たちのコメントがTwitter経由で即時に出て来る。
見ていた人たちの総数は1500を軽く超えていた。
そのカウンタ―が上がっていくのも、妙に興奮した。
これだけの人がここに「集って」いるのだ、という感覚。
もちろん、これはフィクショナルな共同性に過ぎない。
個々人が呟いていて、
それが画面上であたかも「集って」いるように見えるだけである。
しかし、それでもその幻想が共有されるのであれば、
それなりに価値があるのではないかと思われる。

ちなみに一番視聴者数があがっていた午後の部、
最速でコメントが表示されたのは、
濱野智史さんの「出馬せよ、初音ミク」であった。
キャッチコピーとしては秀逸で、
それが凄まじいスピードでの反応を喚起したのである。

発表に対する攻撃的な突っ込みもあるにはあったが、
すぐにそれに対抗するような反応も出され、
総体としては「炎上」のような状態にはならなかった。
140字しか書けない上に流れて行くというシステムが
ブログの炎上のような状態を防いだのだろうと思われる。

これはすべてレコードされているらしいから今でもどこかで見られるだろう。
ただ、ライブで見ているというその体験が、
私にとても刺激を与えてくれたことは確かである。


ディスカッションは有意義であった。
ああ、「政治と文学」じゃないか、などと自分の仕事に引きつけて、
一人で興奮してメモなどを取っていた。
(キッチンでカレーを煮込みながら、すっぴんで!)

で、日本近代文学会もこれをやったらどうだろう?と思ったわけである。
今すぐ思いつくだけでも、利点はいくつかある。

①まず、でっかい学会会場がいらないから、開催校の負担が少ない。
②会場まで出掛けていかなくていいから、交通費や宿泊費を使う必要がない。
③海外からでもアクセスできるから、海外にいる研究者との交流が容易になる。
④質疑応答がその会場に限られないから、
発表者は多くのフィードバックを得ることができ、
質問者もその場の雰囲気や力関係に影響されずに質問することができる。
⑤記録しておけるから、後日見ることもできる。
⑥分科会形式のときもすべての発表を見ることができる。

①や②は、研究費や助成金が削られている昨今、非常に重要になるだろう。
もちろん顔を合わせて久闊を叙す楽しみはなくなることになるが、
それは研究費が出なくて会場に行けなくなるなら同じことである。
また、大学や高校の教員が研究教育以外のことで疲弊しているのは周知のことだ。
家を離れずに学会に参加できるなら有り難いと思う人は多かろう。
③④もまた重要である。
会場でわざわざ「海外からの参加者」の質問をつのったりする必要もなくなる。
また院生だから遠慮して質問しない、などということも少なくなるだろう。
匿名にするわけにもいかないだろうから、
全員が完全に同等の立場で質問することは不可能にしても、
会場で多くの視線を浴びて有徴化されつつ質問するというような事態よりは、
負担が少なくなるように思う。
むろん、Web学会のようにTwitterで即時の反応を流すというのは、
少々無理があるだろうが、一定の期間コメント欄を開けておいて、
書き込んでもらうのなら可能かもしれない。
⑤に関してはどれくらいの期間アクセス可能にしておくのか、といったディテイルを
検討する必要はあると思われるが、アクセスする側に大きな自由度が確保されるのは間違いない。
⑥も然り。


インフラ整備は必要だし、Webが万能だと考えているわけでももちろんない。
ディジタル・ディバイドの問題もむろんあるだろう。
リアルで会う機会を別の形で考える必要もあるだろう。
「対面」の重要性は、おそらくネットの学会シーンへの進出によって減少するのではなく、
変質するだけなのだ。

検討の余地はある。絶対にある。

と、少々昂揚しているので、書きなぐってしまったけれど、
いずれそういう話がさまざまな学会ででるだろう。
私自身ももう少し考えていきたい課題だ。

| | Comments (3) | TrackBack (1)

June 02, 2009

「血液循環」のお仕事


今日は朝の書き仕事を止めて図書館に行く。
ついでにスタンフォード大学から来る交換教員の書類を事務所に提出。
ついでに学生のイギリス留学のための推薦状を書いて渡す。

どちらも小さな仕事だが、一方は外から人を受け入れる仕事、
もう一方は内から外へ人を出す仕事である。
私もいろんな人にこうした書類を書いていただいて、
国をまたいで幾つかの教育機関を渡り歩いた。


今の大学に来てからも、私はずっと国境を超えた人の流れが見える場所にいた。
なにしろ就職したのが文学部や法学部とかいういわゆる「学部」ではなくて、
「国際教育センター」という「部署」だったからだ。
ここは以前には「国際部」と呼ばれていて、
一年単位でアメリカからの留学生を受け入れる特別プログラムであった。
専任教員が私を入れて4人という、吹けば飛ぶような部署だったのだが、
あれよあれよという間に再編成につぐ再編成が行われ、
今の私が所属する学部に組み込まれたのであった。

あれよあれよの波に飲み込まれ、いつの間にか私は、
「留学センター」の教務主任ということになっていた。
留学センターは学生の交流を運営するところだが、
国際課という部署の中にあるので、
必然的に教授陣の交流も間近で見ることになったし、
大学のトップの交流のさまも垣間見ることになった。
本当に垣間見ただけだったけど。


人間の健康に滞らない血液循環が必要であるように、
大学にも血液循環が必要だ。

知は異種交流をして初めて進化する。
知は滞留すると退化する。

頭脳が集まり散じ、散じた頭脳がまた機会を得て集まる。
学生も、教員も、そして職員も。


国際交流は今全国の大学のお題目になっている。
だが、それが本当の意味でできる大学は実は驚くほど少ないのだ。
お金も重要だが、お金だけあったって駄目なのである。
資料的リソースや人的リソースがあってこそ可能なのだから。

長い歴史のなかで堆積された資料、
それをフルに活用できる最新のシステム、
活用したいという外からの人々を様々な形でサポートする職員の存在、
そういう研究者や学生を惹き付けるような教員の存在。

日々の仕事に紛れてしまうと、
自分が循環の小さな一部を担っていることを忘れてしまう。
ついついいろんなことが面倒になってしまうのである。
時折、目線を上げて、大きな循環の流れを感じよう。
それはおそらく、海外の有名大学との名前だけの提携を結ぶより、
重要なことなのだ。

自戒をこめて。(ちゃんと書類書きやります。。。泣)

| | TrackBack (0)

August 05, 2008

打てば響くか


授業のサイズが大きいときはむろんやらないが、
演習などで比較的人数が少ない場合は、
ひとりひとり研究室に呼んで、
ファイナル・レポートの手伝いをする。

書くときの癖はさまざま、
あちらのつまづく場所もバラバラなら、
こちらの出す処方箋も一人一人違ってくる。


学生の中にはやはり聡い子と鈍い子がいて、
鈍い子はこちらが大切なことを言っていても、
「大事なことを言ってるんだよ」と声を張らないと、
下を向いて髪の毛の先に気を取られていたりする。

その間に聡い子は、授業中に私が他の学生に話しかけたことでも、
いちいち自分の中で反応しながらノートを取っている。

単にお勉強ができます、というだけでなく、
こちらの言うことをぴしっと受けて止めて、
真っすぐこちらに投げ返してくるような、
そういう聡さである。


この子は少々「鈍いなあ」と思っていると、
そういう子の書いてくるメールの文章にも配慮が足りないものが多い。
たとえば、提出期限の延長を願いでてきているのに、
延長をお願いします、とだけ書いてあり、
謝罪の言葉もなければ、延長の理由も書いていない。
あたかもそれが自分の当然の権利であるかのように、
延長してくれと書いてくるのである。

たしかに私は「メールをくれれば延長してあげるよ」とは言った。
だが、そもそも期限延長は、約束の期限を守れなかったという事態であり、
その分、採点をする私の負担になる行為である。

謝れと言っているわけではない。
それが重要なのではない。

自分の行為が相手にとって何を意味するのかを、
考えていないことが問題なのである。

想像力の欠如だ。


聡い子は違っている。
「先生」にとって「期限延長」が何を意味するかを踏まえて、
丁寧に書いてくる。

要領がいい、という言い方もできるかもしれない。
しかし、「要領がいい」という言い方を人付き合いに使うと、
どうしてもそこに「こずるさ」が匂う。

もしかしたら、その聡い子は口先だけ上手に謝罪して、
裏で舌を出しているのかもしれぬ。
しかしそれでも、「相手にとってそれはなにか」と
問うことができるのは、それ自体一つの才能である。

ただ、才能でその場を取り繕って、
後でばれるような手抜きをしているのであれば、
その子はただのこずるい人間に成り下がるだけである。


しかし、教師という仕事のおもしろいところは、
最初の「聡い」「鈍い」という区別が、
そのままで終らぬところである。

「聡い子だな」と思ってちゃんと教えずに放任していたら、
あっという間に才流れしてしまった例も過去にはたくさんあったし、
こずるいだけの子もいた。

また逆に「これは鈍いな」と思っていても、
丁寧に教える人がいればゆっくり改良されてくることもあった。
打てば響きはしないけれど、
打てば鈍いなりに反応してくるようになることがある。

手を抜いてよい相手はいない。
テキはどんな拍子に化けるかもしれないのだから。

最初の「聡い」「鈍い」の区分は、
十分すぎるほどの振り幅をみておかねばならぬのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 26, 2008

本日は卒業式なり

「感動」なる語句は大嫌いの私だが、 今日はさすがに少々おセンチ

Img_2813_2



空には雲ひとつなく、桜は満開、
笑いが満ちて美しい卒業式びより。

新設の我が学部が初めて出す卒業生となる。

私は2004年の夏から秋にかけて、
就職して初めて大学のために死ぬほど働いた。
いや、大学のために働いたのではなかった。
「大学のため」と思うと働けなかったので、
「学生のため」と自分に言い聞かせて働いたのである。

だから私は彼らひとりひとりの顔を知らないが、
固まりとしての彼らは、私の意識のなかに強くあった。
むろんそんなこと彼らは知らないし、知らなくてよい。

彼らはただ、この青空の下、
はしゃいで笑って友達を胴上げして写真を撮って、
ここをするりと出ていけばよい。


この卒業式にいたかもしれない数名の学生を、
思い浮かべる。

彼らの魂の安からんことを。
彼らの精神の穏やかならんことを。


私の父はもう80近いが、
この間初めて担当したゼミ生の同窓会に呼ばれたと言っていた。
彼らはむろんもう60歳を過ぎている。
私は初めて父をうらやんだ。

最後に一人ひとりをhugした。
最初で最後のhugだ。

さよなら、みんな。
地に足をつけて生きてゆけ。

そして、日々の忙しさにアタマをやられてしまって、
ものを考えられなくなったと思ったら、
いつでも私のところにおいで。
また、宿題を出してやる。赤インクで添削をいれてやる。

Img_2835


| | Comments (0) | TrackBack (2)

February 16, 2008

「ゼミ」雑記(3)


相変わらず、毎朝「ちりとてちん」を見て号泣している、
richicoでございます。

最近プロットの関係上、号泣率が上昇している。
この前なんか、朝の9時半に大学に行かねばならず、
必然的にフルメイクでテレビを見ていて、
必然的にぐじゅぐじゅになってしまい、
必然的に粉をはたき直したほどである。


で、ゼミの話。

実は「ちりとて」の中核にある「徒弟制度」と、
ゼミは共通項があるということが言いたかったので、
連ドラの話から始めたのである。

口承文芸である落語の技は、
「お稽古」と呼ばれる対面式の修行で初めて伝達される。
カセット・テープのような録音機械はもとより、
視覚情報も同時に伝えられるビデオのような録画機械ですら、
伝達されることの叶わない「なにか」が、
この制度によって伝達される。

さらにそのためには、「師匠」に技の卓越と同時に、
人間的な魅力がなければならない。
この「師匠」のようになりたい、という欲望がなければ、
技の伝達は効果的になされない。

単なる「知識」ではない、より包括的な「技」の伝達。
人間としての全体性における、より効果的な「技」の伝達。

これに私は興味を持った。


大学院に行った方はどなたも覚えがあるように、
大学院は徒弟制度に非常に近い。
いわゆるコースワーク制(必要な単位を授業形式で
とりためていくシステム)を導入している北米の大学でも、
博士論文を書く段階における「師匠」とのつながりは、
かなり緊密なものだ。

この人と思う師匠のところに弟子入りをし、
師匠の家に住み込みながらそこで年季奉公をし、
年季が明けてもその職にある限り関係性を保つ。


だが、大学の通常の授業ははそのような関係性が作られる場所として、
もともと構想されてはいない。

大学は知識が伝達される場所ということになっており、
たしかにある意味ではそうなのだけれど、
また別の意味ではこの考え方は間違っている。

「知識」というのはすでにパッケージ化されており、
こぎれいに整備された後に配分されるものである。
それに対して「学問」とは、
パッケージ化された「知識」を溜め込むことであると同時に、
世の中の森羅万象から何をどのように切り取って「パッケージ化」するか、
というパッケージ化のプロセスそのものに関わる思考を要求するものだ。

つまり、大学が高校と違うところがあるとすれば、
パッケージ化の技を多少なりとも伝達するというところである。


他の人が何をどのように教えているかわからないので、
自分を例に挙げるしかないのだが、
私が大学で教えたいと思っているものは、
<ことば>を使ってものを考えるやり方である。

それを教えるには、私がどうやっているか、を見せるしかない。
そしてそれを模倣してもらうことによって、体得してもらうしかない。

<模倣する>と言うのは簡単だが、それを動機付けするのは難しい。
なにかの手助けが必要だ。
それが「師匠」の人間性ということになりはしないか。

「世の中の森羅万象から何をどのように切り取って「パッケージ化」するか」
と先ほど述べたけれども、
それは「人間性」という部分と大きく関わっている。

ひらったく言ってしまえば、「もののみかた」そのものである。


「ゼミ」という形式は、大学教育の中で唯一、
徒弟制度に近い性質を持っている。
ゼミ生たちは、私を師匠に選んだ時点で、
よくも悪くも私と人間性を介した関係を結んでおり、
その関係のなかでしかおこらない「技」の伝達が行われる。

だからもし「技」が効果的に伝達されていないならば、
それは「弟子」ではなく「師匠」の責任である。
「師匠」の人間性の問題である。

特に私の場合のように、専門性ということよりもむしろ、
専門家にこそならないが<ことば>に正しく敏感な人間を養成する、
という目的を持つゼミはそうである。


「師匠」としては「ちりとて」の草若師匠に遠く及ばぬrichicoさん、
ゼミに関してこのところ反省しきり。

これからも精進の日々でござる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 12, 2008

授業の終わり in 大寒

ゼミの話はまだまだ続きますが、
ちょっと閑話休題。
でもこれも授業の話。


金曜日。
占領期文学の最後の授業を大江健三郎「人間の羊」で締める。


「戦後」において文学が提示し得ている問題は2つある。

一つ目は「加害者」と「被害者」の問題。
誰が「被害者」で誰が「加害者」か、というのは、
事前に決まっているものではない。
それはどの文脈におかれるか、どのような関係性の中におかれるか、
どのような<ことば>で表現されるのか、によってその時々において決定される。
「加害者」と「被害者」を固定的に扱うことができないだけではなく、
容易に反転可能である。(「人間の羊」を見よ)
注意深く見られるべきは、
「加害者」を「加害者」たらしめている言語環境の働き。
「被害者」を「被害者」たらしめている表現のありよう。

「加害者」「被害者」を所与のものとしないこと。


二つ目は「沈黙」の問題。

歴史は基本的に「証言」や「文書」といった、
いわゆる<語られたこと>をベースに組み立てられる。
だが文学にとっては<語られなかったこと>が決定的だ。

「沈黙」の重みを積極的に表現できるのが文学の強みである。

もっとも強い苦しみや悲しみは語られない。
そして死者は絶対的に語ることができない。
だから誰かが代弁しなければならない。

だが、代弁するとは代弁するものの解釈行為が、
のっぴきならない形で入り込むということである。
代弁者は必然的に生者である。
生者は必然的に生きた課題を背負っており、
死者は必然的にその課題とは無関係である。
(死とは元来そういうものだ)
この絶望的な深淵をどう架橋するのか。
我々は慎重に吟味しなければならぬ。

戦後文学と呼ばれる領域において、
「沈黙」を扱うとは、死者の解釈を扱うということであり、
代弁者の政治的課題を扱うということである。


とまあ、こんなようなことをしゃべったのだったが、
果たして私は何人にそれらを感得(理解とはいわない)せしめたか。

ワンクールの授業が終わっても、成果が目に見えるわけではないから、
教えるという仕事は達成感とは無縁である。

だが、まあ、よい。
私は少なくとも彼らに「夏の花」やら「野火」やら「仮面の告白」を
読ませたのである。
それを成果としよう。

とりあえず終わった。
そんな感じである。

あーあーあ、と私は大きくため息をついて、
もう暗くなった大寒の街に出た。

かっこよく言えるほど飲めるわけじゃないけれど、
今日は一人でいっぱい引っ掛けて帰るか。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

February 11, 2008

「ゼミ」雑記(2)


いや、実験といったって、てぇしたことではない。

一つ目は、私を「りっちゃん」と呼んでもらうことである。
二つ目は、全員をmixiに登録してもらったことである。


アメリカのリベラル・アーツの小さな大学で、
先生のことをファースト・ネームで呼ぶのはさほど珍しくない。
だがそれは、そのような「親密さ」の指標が社会的に異なった役割を担っている、
英語という言語で構成されたコミュニティの中だから違和感がないのであって、
日本語でこれをやるとなると話はまるで違う。

例えば、私の同僚は私のことを「りっちゃん」とは通常呼ばない。
○○先生、あるいは○○さん、と呼ぶ。
同僚の中で私を「りっちゃん」と呼ぶ人は、
食事をしたりプライベートな話をする友人たちである。

もし、他の同僚ーー特に男性ーーが、
私に断りなしに「りっちゃん」と呼びかけたとしたら、
私はおそらく「むかっ」とする。
そうした呼びかけには、パブリックな領域にあるべき職場の関係性を、
プライベートな領域に無理やり押し込もうとする意図が看取されるからで、
ほとんどの場合、職場での私の立場の不利につながる。

(そういう男性に対しては、表だっては言わないけれども、
「バカにすんじゃないわよっ!」と心の中ではしっかりとそう罵倒するであろう。)

言うなれば、ゼミ生たちは「りっちゃん」という呼称を許可されることによって、
「同僚」の位置をも越えた、「友人」と同等の位置を与えられていることになる。
いわば私とプライベートな関係を結ばせられているのである。

学生ー先生という社会的役割の安定的な関係が、
呼称(<ことば>!)によってどう変化するのか。

先生の権威は、「りっちゃん」と呼ばれることによってなくなってしまうのか。
ゼミ生と「りっちゃん」は、「友人」になってしまうのか、それとも・・・?


結果は予想していた通りであった。

彼らは大変居心地が悪そうであった。
裏で言うならともかく、面と向かって言わねばならないのである。

最初は一生懸命呼んでくれていたが、
そのうちだんだんと私はあまり呼ばれなくなり、
卒論を書く最終段階になると、いつの間にか「先生」に戻ってしまった。

「先生」と呼ぶのが自然なところで「りっちゃん」を押し付けられるとどうなるか。
「りっちゃん」と口にのぼせるたびに、
実は意識の中では「先生」が同時に呼び出されてくることになる。

「先生」と呼ぶのは習慣だから、ことさらにそれが意識されることはない。
だが、彼らは「りっちゃん」と呼びかけることによって、
私を「先生」として逆に強く意識するハメになったのである。


「りっちゃん」という呼称は、かくして私の「先生」性を強化した。
<ことば>の威力とはスゴイものである。
そして、一筋縄ではいかぬものだ。

いやいや、断っておくけれども、
私は決して自分の「先生」性を強化したくてこの実験をしたわけではない。
教室内における私の権力は、いかに私がそれに対して居心地が悪くとも、
なくすことができないものだし、
教育効果から言っても完全になくしてしまってはいけないものだ。

それならば、遊んでしまえ。
せっかく<ことば>ゼミと名まえをつけたのだ。
<ことば>を使って遊んでしまえ、というわけだったのだ。

私の「遊び」に付き合ってくれたゼミ生諸君、ありがとう。
権力振り回して呼び名を強制してごめんね。
でも楽しかったよ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 04, 2008

「ゼミ」雑記(1)

大学の教師生活も10年になろうというときになって、
初めて担当した「ゼミ」というもの。
通常の授業とは違うこの制度の可能性について、
ちょっと書き留めておくことにした。


どうやら「ゼミ」は、日本の大学特有の制度らしい。

私が2年間ほどいたアメリカのリベラル・アーツ・カレッジは、
本当の少人数教育をやっていたが、
通常の演習形式の授業と区別されるような「ゼミ」は存在しておらず、
卒業研究も先生に個人指導をしてもらう形だった。
だから同じ先生についていた学生が何人いたのかすら、
私は知らないまま過ごした。

イギリスではチュートリアルと呼ばれる、
これも少人数の演習形式の授業があった。
だが、先生との関係性は希薄で、
学生間にもコミュニティの感覚はまったくなかった。
「アメリカ人」(制度上、私はここに入れられていた)というお客さんだったせいなのか、
と思ったりもしたのだが、イギリスの大学教育を受けたイギリス人に聞いても、
日本の「ゼミ」に相当するものはないという。

オーストラリアの国立大学教育を受けたオーストラリア人も
「日本のゼミの制度はおもしろい」とさかんに言っていたので、
どうやらオーストラリアにもないらしい。

中国や台湾や韓国やタイといったアジアの大学はどうなのか、
ヨーロッパのほかの国はどうなのか、
ちょいと聞いてみたい気がする。


日本の大学における「ゼミ」は、
まず同学年の学生同士のつながり、
つまりヨコのつながりがけっこう強烈に存在している。

もともと、数ある先生の中からその先生を選んだという意識がある上に、
飲み会だの合宿だの旅行だのといった授業以外のイベントによって、
特別なコミュニティ感覚が養成される。

それらはさらに、
就職活動という日本の大学における一大イベントによって、
実践面からも強化される。
先に就職したゼミの先輩を通して、学生は活動の詳細を知ったり、
時には直接仕事口を紹介してもらったりするのである。

特定の先生とのつながり、同学年のヨコのつながり、1年刻みのタテのつながり。
それらが合体して、「ゼミ」になると言ってよい。


もっとも、教師生活10年目にして、初めて私が担当した「ゼミ」は、
「先輩」も「後輩」もいないのでタテのつながりが存在せず、
したがって当然「就職活動」にも役には立たず、
「合宿」も「旅行」もしなかったので、お遊び的コミュニティにも発展せず、
そういう意味ではあまり「ゼミ」らしくなかったのかもしれない。

そういえば、私がむかしむかし大学生だった頃のゼミも、
あまりゼミらしくはなかった。
「先輩」も「後輩」もいなかった(と思う。もしかしたらいたのかしら?
まあ、いたとしてもそれくらいの存在だった)
誰一人として集団行動の音頭を取るタイプの人間がいなかったのは確かで、
みんなわが道を行っていたなあ。


ただ、私は自分の「ゼミ」で、ちょっとした実験を二つほどしてみた。
従来の「ゼミ」とは少し違う、新しいコミュニティができるかな、
と思ってやってみたのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 08, 2007

学生版<ことば>ノート、久々の更新


「学生版<ことば>ノート」に久々に投稿があった。

留学からの帰国直後の学生による「文法の摩擦」という題のエッセイである。
サイドバーのリンクから入れるので興味をひかれた方はぜひ読んでいただきたい。
今だから書ける留学の成果だと思う。


実はこの「学生版<ことば>ノート」、誰も投稿してくれないので、
もう閉鎖しちゃおっかなー、と思っていたところだったのだ。

やっぱり、「投稿」なんて言っても、
忙しい学生生活のなか文章を書いて人に読んでもらおうという気持ちを持って、
実際に書く学生は少ないのかもしれないし、
そもそも文章を書くのが好きなら自分のブログなんか持ってるんだろうし、
かといって、学生に強制して書かせるのは性に合わないし・・・

でも、この投稿で元気が出た。やっぱ、存続させておこう。
文章を書く気持ちを持っている人でも、
必ずしもブログを作って日々書き付けるということをしない人もいるだろう。
かといって、それ以外の発表の場がある人ばかりでもないだろう。

それに、自分のブログを持っている人でも匿名で自分のブログに書くより、
おそらくここに投稿する方がはるかに緊張感があるだろう。
それも悪くない。

在学中じゃなくても、日本にいなくても、
<ことば>について何かを書きたい、という気持ちが湧き上がったとき、
学生版<ことば>ノートを思い出してくれれば、
それでいいじゃないか、と思うようになったのだ。


というわけで、<ことば>ノートがある限り、
「学生版<ことば>ノート」も存続するぞ!と決意したrichicoさんであった。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 22, 2007

ツマ先生のこと

森鴎外の『阿部一族』。
授業で教えるたびに思い出す、私自身の先生のこと。


中学・高校一貫教育の女子校で、京都でも古株である。
お嬢さま学校、というほど裕福な家庭の娘たちでもなく、
かといって「生活」などという言葉を真剣に考えたこともない、
中産階級の上くらいの娘たちが通う割合のんびりとした学校だった。
エスカレーター式で上の大学に上がれるので、
生来ののんびりに制度的なのんびりが加わり、
緊張感のまるでないその学校で私はぼうっとした六年間を過ごした。

だがそんな日々のなかにも、いくつか心に強く刻まれた場面はあって、
ツマ先生との出会いはそのうちの一つである。


ツマ先生は一人ではない。ご夫婦である。
私たちは密かに「ツマカズ」「ツマヒロ」とお二人を区別して呼んでいた。
「ツマカズ(コ)」先生は、おっとりした口調でゆっくりとお話になる。
「ツマヒロ(シ)」先生は、ぼそぼそと、しかし早口で機関銃のように話される。

当時にしては珍しくご主人の方が年下であったこと、
お二人ともなかなか毛色の変わった先生であったこと、などが手伝って、
口さがない思春期のオンナノコたちの、格好の餌食となっておられたが、
どちらもそんなことなど歯牙にもかけておられない様子がまたよいのであった。


社会科の先生であった「ツマカズ」先生には、中学校でお世話になった。
授業以外で本を読ませるのは、どんな中学教師でもやるのだろうが、
「ツマカズ」先生がお渡しになられたのは、
森鴎外の「阿部一族」とギリシャ神話。
「聖書も重要だけどもう授業で習っているから」、この2冊なのであった。
(プロテスタントの学校だったので、道徳の授業の代わりに聖書の授業があった)

あれから夢のように時間がすぎて、
気がつくと自分は学者になり、教師にもなっていたが、
歴史と文明について考えさせる基礎文献ともいえるこの2冊を、
生意気ざかりの女子中学生に読ませるような先生に出会っていたことを、
今さらながらに感謝する。
というより、学者になり教師になったから感謝できたのだろう。
なかなかできることではない、こういうことは。いろいろな意味で。


「ツマヒロ」先生は倫理の先生であった。

カントだのプラトンだの、形而上学だの、わけのわからないことを、
ものすごい勢いで大量に板書する授業にうんざりして、
私は友達とノートに落書きをしていた。
気づいたとき先生は、私のすぐ横に立っておられ、ひとこと、
「わかろうとする努力もしないでこんなことをしている」とおっしゃった。

静かなお声であった。
しかし声を荒げて叱られるより響いた。
授業中に落書きをしていたから、ではない、
それよりもなにかもっと大事な、
知性に関する根本的な事柄についておっしゃったのだということが、
浅はかな高校生の私にも知れた。

教科書の範囲をはるかに超えて哲学者たちの思考をまとめていく先生の授業は、
それから私がもっとも熱心にノートを取り頭を使う時間となった。
倫理は、私がもっとも得意とする教科になった。
内部推薦で大学の学部を選ぶとき、
ツマヒロ先生は哲学科に行く気はないか、と言って下さったが、
結局、私は歴史を選んだ。
しかし、あれからいろんな人文系分野を渡り歩いた末、
文学理論という哲学に隣接した分野に落ち着いたことを考えると、
先生からいただいたあの一言は重い。


ツマ先生、あの小生意気でおバカでお調子者だった私も、40歳を超えました。
まだまだ、学者としても教師としても人間としても、ハンパもんです。

お元気でお過ごしくださいますよう。

| | Comments (2) | TrackBack (4)

より以前の記事一覧