留学

May 16, 2006

<ことば>ノート学生版、ひさびさに更新


ゆったりまったりとしていたゴールデンウィークなど、
はるか記憶のかなた。
なんだかここしばらくバタバタバタバタしていた。
土曜日出勤なんかもしたしね。

黒酢をごっくんごっくん飲んでがんばっておった。


今回の<ことば>ノート学生版の記事は、
実はだいぶ前に届いたものだった。
ようやくメールでコメントしたのが2日前。
そしたら、昨日、さっそくニューバージョンが送られてきた。
迅速っ!

題は「『異文化』という<ことば>の罠」。
留学中だからこそ、出てきた感覚なのかもしれない。


もう私は留学センターのキョームシュニンではないが、
思わず、今、アジアで、ヨーロッパで、北米で、オセアニアで
がんばっているだろう500名弱の学生たちのことを考える。

君らに残された時間はあと少し。
精一杯、精一杯、その身体にいろんなものを吸収して、
そして無事に帰ってきておくれ。


なんだか、ちょいと感傷的になっているセンセイでございました。

<ことば>ノート学生版
http://richico.cocolog-nifty.com/gakuseiban/


| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 13, 2006

「国際化」という<ことば>に関して今もっとも適切だと私には思われる一節

今日、いたるところで問題となっているあの「国際化」という言葉を真の体験として生きるためには、おそらく、相対的な若さとは異なる「驚き」への感性が必要とされます。国際的な相互理解などという美辞麗句に、間違ってもだまされてはなりません。その言葉が美しく響くのは、観念の領域にすぎないからです。実際、具体的な国際性とは、野蛮と呼ぶほかはない不幸な推移を示している現在のコソボ情勢がそうであるように、無数の差異がまがまがしく顕在化される過酷な空間にほかなりません。そこでは、たえず齟齬感や違和感の的確な処理が求められ、さりげなさを装った外国語での流暢な会話能力など、いかほどの役にもたちません。国際的な交渉の場で要求されるのは、いま、この儀式の会場にはりつめているような緊迫感にたえつつ、いくえにも交錯する隔たりの意識を丹念にときほぐしながら、なお、言葉を放棄せずにおくという執拗さにつきております。その執拗さが差異への敬意を欠いた場合、「国際化」などという概念は、たちどころに抽象化され、意味を失うほかはありません。

蓮實重彦「齟齬感と違和感と隔たりの意識」(1999年4月12日 東京大学入学式式辞) in 『齟齬の誘惑』(東京大学出版会 1999年)

| | Comments (4) | TrackBack (0)

September 30, 2005

新学期の風景

私が主に生息している大学の一角は、
キャンパスの中でも外国人人口密度が高い場所である。
正確に言うとキャンパスの中ではなくて、
門の外の建物である。
元は保険会社の建物であったのを、
大学が買い取ったとやらで、
マスタード色としかいいようのない、
センスの悪い色で塗られているうえに、
とんでもなく安普請である。

そんな建物には日本語教育センター、留学センター、
国際教養学部の学生読書室や研究室が入っている。
9月ともなれば、さまざまな肌の色、
髪の色の人々がたむろする。
誰も彼も、なんとなく落ち着かず、きょろきょろと
あたりを見回すようにしている。
彼らのうちの多くはつい最近日本に到着したばかりなのだ。
これが一ヶ月もすれば、生協でも、コンビニでも
立ち食いのそば屋でも、彼らに遭遇することになる。
だが、今はまだ目的のはっきりしないゆるい集団を作って、
なにをするともなくそこにいるだけだ。

彼らの姿を見るともなく見ているうちに、
人生の中でたぶん一番と言えるくらい、
不安でいっぱいだった1986年の9月を思い出す。

3月に京都の大学を卒業し、
ボストンでお気楽なサマー・スクールを過ごした後、
私は東海岸の小さな大学町に、グレイハウンドの長距離バスから
スーツケース一つで降りたった。
文字通り、右も左もわからない。

大学が始まると、なおのこと右も左もわからない。
だいたい、授業についていけない。
体力のない体に、押しつぶされそうな量の課題。
何を言っているか皆目理解できない教授の話。
徹夜して読んだのに、「あなた、課題ちゃんと
読んでないでしょう」と言われる屈辱。
授業ではしゃべることなど思いもよらず、
書くものはどれも自分で嫌になるほど稚拙。
そのくせプライドだけは一人前以上にあったから、
ほんとに始末におえなかった。

そうでなくても人見知りで、
新しい環境に慣れるのに時間のかかる私だった。
おそらく今キャンパスにいるどんな学生より、
顔が強張り、目が泳いでいたに違いない。

そういえば8月から海外に一年間の留学へ
飛び立っていった学生たち。
今頃、どうしているだろう。


| | Comments (3) | TrackBack (0)

June 11, 2005

留学ビジネスの隆盛

■richicoは校費で出張しておいて、野球しか行っとらんのか!と怒られても困るので、おシゴトについても書いておこう。シアトルにはNAFSAという名前で知られるAssociation of International Educatorsの会議に出席するために飛んだ。目的は、60を超える、学生の派遣先大学の担当者を集めて、顔合わせをすることである。それぞれの大学との留学プログラムの詳細は事務担当者レベルで、メールを介して詰められてはいるが、やはりこうしたceremonialなことをやって初めて、「協定」という<ことば>になんらかの<実質>が伴っている感覚が生まれる。海を隔てた双方にそうした<実質>の手触りを創り出すこと。これが今回の出張の到達目標であった。

■NAFSAの規模はバカでかい。参加者総数は優に5千人を越え、いくつものホテルやコンベンション・センターで、何百となく小さな会議やプレゼンテーションが開かれる。シアトル市内のホテルはどこも満杯。ダウンタウンは、NAFSAの札を首から下げた人々で、あふれかえっている。スターバックスのコーヒーを手に持ったスーツ姿の男女が行き交っていく。International Educatorsとは、留学プログラムに携わる大学の職員や教員を指している。文字通り世界各国から参加者が来る、この会議の規模は、そのまま留学ビジネスの大きさだ。
050611_meeting

■Breakfast meetings, lunch meetings, presentations, dinner partiesと息つくヒマもない。人々は波のように私のところに押し寄せ、握手を求め、名刺を差し出す。持ってきた80枚の名刺は4日目にして底をつき、あとは会う人ごとにSorry, I ran out of my cardsと繰り返す。笑顔は顔に張り付き、ホウレイ線は日ごとに深さを増し、ホテルの部屋の乾燥も手伝って乳液程度では簡単に延びてくれない。「帰ったら保湿パックしないと・・・」と、ホテルのバスルームでため息をつく。

■Study Abroadと呼ばれる留学プログラムは多様化すると同時に、パッケージ化されている。私の所属する大学も遅ればせながらその波に乗ろうと懸命である。(だから私たちが尖兵隊として派遣されている。)アジアの、特に韓国・中国の英語学習のヒート・アップぶりと留学熱は、確実に連動している。非英語圏での英語プログラムは年々増え続け、英語さえできれば現地語ができなくても、そうしたアジアの国々で「国際経験」を積むことができる仕組みができあがりつつある。

■こうした風潮を一概に悪いとは思わない。ただ、私はそれにもろ手を挙げて歓迎するほどおめでたくもない。なぜなら私の足場は日本語の文学という僻地にあるからである。僻地でけっこう。僻地からしか見えないこともある。ここから、我々にとって真に貴重なものは、たやすくは流通・交流しない<ことば>との、恐怖と感嘆に満ちた出会いであることを、しつこくしつこく言い続けることにしよう。そのためには、英語もしゃべるし、出張にも行くさ。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

April 21, 2005

留学フェア、後日談

■くだんの「留学フェア」には1700名以上の参加者があったとのこと。国際教養学部の600名強が無理やり参加させられているのをさっぴいたとしても、驚くべき関心の高さである。初の試みとしてアンケートをとったのだが、それに対しても1100名を超える回答が寄せられた。これまた、関心の高さを物語っていよう。しかしその一方で、留学への不安も増大していることが、アンケート結果からはうかがえる。


■なかでも徴候的だったのは、記述回答に「カルチャーショックを受けるのが嫌だ」というのがあったことである。もう一度申し上げておくが、これは「留学フェア」でのアンケートである。「んじゃあ、行くなよ!」と、突っ込みを入れたくなるところだ。事実、私も思わず失笑してしまった。でも後になって、まあ、かなり率直な感想なのかもしれないなあ、と思い直したのである。


■日本にいてある程度世間的に名の通った私立大学に通っている者にとって、「国際化すること」はほとんど強迫観念となっている。入学式で総長も演説する。「留学フェア」などを盛大に催して後押しもする。授業を英語で行う国際教養学部のような学部も身近に現れ、就職センターに行っても「英語ができることはもう当たり前です」と言われてしまう。留学資金が工面できなければ、行かないという選択肢もあるのだろうが、資金を捻出できる環境ではその選択肢は逆に取りづらい。でも、行ったらすごい「カルチャーショック」を受けるんだろうなあ、それは大変そうだなあ…、となって、だから「嫌だ」、なのである。つまり、この一見笑止な回答は、「英語をしゃべらナイト」ならぬ「留学して国際化しナイト」という、彼らがしじゅう受けとっている脅迫めいたメッセージを背景にして、読みこんでやらねばならないのである。


■留学体験の素晴らしさを語る言説は、世の中にあふれかえっている。以前にも申し上げた通り、私もその片棒をしっかり担いでいる。しかし裏を返せば、これはかの地で受ける「カルチャーショック」なるものを誇大広告していることである。人生が変わるような素晴らしい「カルチャーショック」を受けるんだよ、と言われれば、年端もいかぬ子供たちがそれに対して甘い期待を抱いたり、言い知れぬ不安を感じたりするのは当然といえば当然である。この回答をしてくれた学生には、なーにアンタ、「カルチャーショック」なんてものはね、波長が合わない父親やウザイ母親や気まぐれな友人を相手にするより、はるかに楽なもんだよ、と言ってやりたい気がしている。(なにしろ、最後は「結局○○人はよくわからんわ」という逃げ道があるのだ。家族や友人じゃこうはいかない。)


■・・・なんだか、最近、私「留学」の話ばっか、書いてるなあ。ことほどさように、教務主任のお仕事をしてるってことである。あるいは、それ以外していない、ってことである。もうそのうちブンガク学者のカンバンを下ろさねばならなくなるかもしれん。ううう。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

April 10, 2005

留学フェアでrichicoさん演説す

■先週の金曜日は、「留学センター」の主催する「留学フェア」であった。そこの教務主任である私は、マイクを握って、留学の希望に燃える1200名ほどの学生にプレゼンをたれるよう命ぜられた。40分のものを2回、20分のものを1つ。

■私に課せられた任務は、学生のまだもやもやとしたあいまいな欲望に、大学としての承認を与え、さらに明確な形とベクトルを与え、「留学」なるものがあたかも目の前の、手の届くような距離にあるかのように見えさせる、ということである。伝えなければならない実務的な情報量も多いので、お話の枠組みそのものは極力単純化しておかねばならない。そこで、①私は留学経験豊富な人間である。②留学にはぜひ行きなさい。③留学とは「自分探し」である。という3点に絞って枠を作った。まず①によって、「私は経験者なのだよ、私の言うことを聞いてみなさい」と自分の優位な立ち位置を確保したのち、②によって、来ている学生たちが聞きたいとひそかに欲望していることを言語化してあげ、③で「でも、人に頼っちゃだめよ、自分でおやり」と突き放しておく。(そうしておかないとキョウビの学生は、全部大学がやってくれるものと思い込む。)

■私のトークの終了後、数名の教員の方から素晴らしいプレゼンであったと、お褒めの言葉をいただいた。どうやら、自信に満ち溢れ、聴き手をぐっと惹きつけるようなプレゼンであった(と言われた、お世辞かもしんないけども)。でも、ほめてくださったその方たちは、おそらく気づいてはおられないであろう。私が雄弁であった理由はただ一つ、これがまったく自分とは異質な、他者の言語、他者の語法であったからに他ならない。私がもし、自分の思想に忠実に、かつ自分に固有な語法で、「留学」なるものについて語れ、という要求をされたら、まず上のようには語らない。そして、絶対に雄弁ではありえない。私は学生の語法、それも留学にすでになんらかの興味を抱いており、かつ資本力がある程度あり、さらにそれほどものを考えていない学生の語法に従って語ったのである。「経験」や「国際性」や「自分」は、こうした社会集団が共通して持つ<符牒>である。(もちろん、これは私が想定する社会集団であって、私の目の前にいた学生が全員そういう集団に属している、と言っているわけではない。)

■彼らがもし、真に知的でありたければ、このような<符牒>を鵜呑みにしないことである。それだけではなく、これらの<ことば>が<符牒>に過ぎないことを看破し、そうした<符牒>をバンバン発信する「留学の経験者」ヅラをした「教務主任のサカキバラ」なる人間を警戒するべきである。そして、<符牒>はそれとして自分で適宜使い分け、同時に自分固有の語法と語彙で、「留学」なる事象について語れるよう、営為努力するべきである。その結果、留学を止めることになっても、私は一向に構わないと思っている。(今の世の中、「留学に行かない理由」を述べる方が逆よりはるかに知力と学力を要するだろうしね。)

■私は学生諸君が、そういう形で知的になってくれることを、心ひそかに切望している。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

March 28, 2005

パック旅行化する留学

■私が関西の大学に在籍していた80年代前半は、『地球の歩き方』がちょっとしたブームであったと記憶している。男子の同級生の中にはアルバイトをして金をため、バックパックを背負い、学校英語と旅行者用のフレーズ集だけを頼りに、ヨーロッパやアメリカや中国で果敢な貧乏旅行をする人も少なくなかった。しかしそれでも、もう一世代前の小田実『なんでもみてやろう』といった著作と引き比べてみると、小田の著作に表象されていた野太い冒険家精神のようなものはシステム化され、矮小化され、コンパクトにお膳立てされていったのだ、ということがわかる。

■今は、「留学」も大学や留学関連の民間企業によって、さらに精緻にシステム化され、極度に矮小化され、もうほとんどパック旅行と大差ない。本来別の場所に散らばっているはずの情報はコンパクトにまとめられ、パスポートやビザの取得、傷害保険などのサービスが提供され、飛行機の切符まで取ってくれる。相手の大学にしたって、特に英米語圏の大学は、非英語圏からの「留学」がビジネスになることは百も承知で、どこもビジネスとして成立するようにシステム化に力を入れている。ホームスティ、フィールドトリップ、現地の学生たちとの交流の場の確保、語学のサポート、安全確保。空港までお出迎えというのは、ほとんど当たり前。

■システム化というのは、基本的に偶発的に起こるアクシデントをどこまで減らせるかが勝負である。旅行中に起こる「アクシデント」そのものを、世界の仕組みに対する考察の対象としてきた『なんでもみてやろう』や、矮小化されたとはいえ、「アクシデント」こそ旅の醍醐味、という売り方をしてきた『地球の歩き方』とはまったく異なった精神で、パック旅行化された「留学」が売られていることは明白だろう。

■学生たちもそういった「留学」を望み、親たちも完全な工程管理がなされた「留学」を望む。大学もできる限りそういう「留学」を提供しようとする。それがいいことなのか、悪いことなのか、今の私には言うことはできないが、そうなっていることだけは確かなことだ。

■少なくともこのような「留学」では、アクシデントに対して適切な処理をする能力や、アクシデントへの分析能力の育成は期待できない。あの、途方もなく強靭な、「なんでも見てやろう」精神はおろか、プチ小田的『地球の歩き方』程度の問題解決能力すら養成されてはいかないだろう。はっきりとわかっていることは、これからはますます単なる「留学」経験がなんの売りにもならなくなるだろう、ということだ。パック旅行でパリに行ってきたおっちゃん・おばちゃんたちに、誰もパリという街やフランスという国やヨーロッパという共同体についての知見を求めはしないし、「国際派」の称号を与えたりはしない。

■こもごもこんなことを考えていると、久しぶりに『なんでも見てやろう』を読み返したくなってきた。明日にでも大学の研究室に置きっぱなしになっている文庫本を持って帰ってくることにしよう。

| | Comments (4) | TrackBack (2)

March 04, 2005

留学ってなんだーっけ、なんだっけ?(続)

■大学院に進学する頃になって、私は「留学している」という自覚を、もうすでに持っていないことを発見した。おそらくこれは、「日本に帰る」という将来のビジョンをその頃から捨てたからである。その代わりに、アメリカという場所でこれからも生きていくというビジョンを持つようになった。もっと正確に言えば、アメリカで職を得ておマンマを食う、ということが現実的になったのである。これは、アメリカに留学してました、と言うことで日本で受けられる有形無形の利益を断念し、留学という<ことば>の持ちうる特権がチャラになってしまう場所で生きる、ということでもある。だから、1989年以降の私は、アメリカの大学院には在籍していたが、意識の上で留学をしていたわけではなかったのである。

■ところが、人には言えないさまざまなウヨキョクセツの後、結局私は日本で職を得て、おマンマを喰うことになった。それもアメリカの大学のようにテニュア制度はないから、法でも犯さない限り、ほとんど終身雇用・永久就職である。そうなって初めて、私は自分の履歴書の真ん中の部分をひとからげにして「留学」と呼ぶことができるようになった。考えてみれば当たり前のことだ。「留学」という<ことば>には、「帰る(べき)場所」というコンセプトが埋め込まれている。単に「留」まって「学」ぶのではなく、「帰ってからの人生」を基準に「外にいること」を意味づけること。そういう物語を自分で作ること。これがないと完全な意味における「留学」には、おそらくならないのである。

■今年、ウチの大学は700名弱の学生を「留学生」として、海外の大学に派遣する。それに伴うすべての業務を取り仕切る「留学センター」という組織の、私はパシリ、いやもとい、エライさんである。700名の「留学生」を見ながら、この子らはこれからの一年間を将来どう語るようになるのだろう、と思う日々である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 27, 2005

留学ってなんだーっけ、なんだっけ?

■下の文章は、私が以前大学の中の「国際教育センター」付きの教員をやっていた頃に書いたエッセイもどきからの引用である。

「私の留学体験」というお題だが、私は、高校以来の学歴がすべてこれ「留学」という、ほとんど「留学のプロ」である。日本の大学の科目で夏休みに語学をやる短期のものから、半年の語学研修、アメリカの大学に編入する正規留学、アメリカの大学からイギリスの大学への留学、アメリカの大学院から日本文学の博士論文を書くための日本への留学。どこからどこに行くのが留学なのやら、もう本人にもよくわからない。ついでに言うと、私の父も「あこがれのハワイ航路」(船です!)で留学をしている。親子2代の留学人生である。

「2004年に生きる君にとって<留学>ってなんですか」とおおぎょうなタイトルがつけてある。それなりに思うところあって、こうしたタイトルをつけたのだが、読者である学生たちにとってみれば、本音のところは「知るかっ、んなもんっ!」だろうと思う。これから「留学」する人や、今「留学」の真っ最中という人たちにとっては、とてもそんな悠長に「自分にとって<留学>とはなんなのか」などと、沈思黙考する余裕はない。またする必要も感じない。だからそれはそれでいいのである。

■そもそも私自身が上のように、自分の人生のある部分をおしなべて「留学」という<ことば>のもとに括り、「あたしゃ、<留学のプロ>さ」などという少々自嘲的な言い草を、場合に応じてひねくりだすことができるようになったのは、つい最近のことなのである。それまでは、「留学」という<ことば>にはずいぶん座りの悪い思いを抱いていた。振り返ってみると、「留学してるんだ」という意識を明確に持っていたと言えるのは、上で書いた経歴で言うなら、アメリカの大学に編入していわゆる正規留学をしていた2年間のみだと思う。それ以外の経歴は、「留学」だと思っていなかった。

■正規留学の前に行った語学留学の時期には、ただ、日本の英会話学校ではラチがあかないので、より効率のよい言語習得修行のためにアメリカの英会話学校に来ているのだ、と思っていた。だって、そのころは「語学留学」という<ことば>さえなかったのだ。つまり今で言うところの「語学留学」は「留学」という<ことば>の指し示す意味の射程には入っていなかったのである。(続く)

| | Comments (2) | TrackBack (1)

May 03, 2004

メディアとしての英語

猫も杓子も「英語」のご時世に、違和感ばかりを感じてきたにもかかわらず、
「英語教師」をやんなきゃいけなかったり、「国際教養」なんてところに入ってしまったり。
でも、違和感を少しずつでも言語化していきたいので、今日はこんなお話を…

▲ 留学志望の学生たちからよく聞くセリフに「外人と話せるようになりたい」「映画を字幕なしで聞き取れるようになりたい」というのがあります。もうこれで百人以上の留学志望学生と話をしていると思いますけれど、「意味の通る知的な英語が書けるようになりたい」とか「たくさん本が読めるようになりたい」という学生は一人もいなかった。使い慣れているはずの日本語でも「読む」「書く」は敬遠されているのだから、ましてや外国語?!ということなんでしょうか。いや、おそらくそれよりも、「日本の英語教育が読み書き文法を重視して肝心のコミュニケーション能力を軽視してきた」という定説が学生の中にも刷り込まれていると見たほうが正しいのかもしれません。
▲ でもね、と私は学生によく言います。これから大切になる英語の能力は、「話す」「聞く」よりも「読む」「書く」だよ、って。「日本の英語教育は…」という定説って、50年代・60年代に英語を学校で学んだオジサンたちが、80年代くらいにアメリカに出かけて工場作ったりしなきゃならなくなって、それこそエリートじゃない人たちも出かけていかなきゃならなくなって、工場のアメリカ人なんかと会話ができなくて、みじめな思いをして、その恨みが作ったシロモノなんじゃないかと私は思ってます。でも、その頃と今って英語の運用形態、言ってみればメディアにすごい大きな違いがある。ほら、コレ、今私が利用しているインターネットです。
▲ 日本のどんな片田舎に住んでいたとしても、ネットにつなぐことができ、英語の読み書きができれば、そこには瞬時に今までとは比べ物にならないくらいの情報がつまっているスペースが現れ、自分の言いたいことを発信することができる状況を私たちは手に入れた。早い話が、アルジャジーラの英語サイトにアクセスして、人質の人々の人道的な活動についての情報をイスラム世界の人々に向けて直接発信することだって、できちゃうわけなのですよ。
▲ もちろん、こういう状態が手放しのウハウハ状態だとは、私も思ってはいません。それどころか、問題山積みだと思ってます(そのうち書くことになるでしょうけど)。でも、英語の「読み」と「書き」に関しては、インターネットというメディアによって今までになかった可能性がひろがった、英語をお勉強する意味もひろがった。これは絶対、そう。
▲ どんな相手に、何を伝えたいから<ことば>を勉強しようとするのか。そして、どんな勉強をするべきなのか。「英語」「英語」とかまびすしいヨノナカだからこそ、しっかりと考えるべきだと思うんだけど…。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

April 29, 2004

richico のプロフィール

▲ 1964年、アメリカのインディアナ州のリッチモンドという小さな街で生まれました。一歳半くらいで帰国したので、世間でいうところの<バイリンガル>にはなり損ねましたが、アメリカ国籍をもらいかなり長い間二重国籍を持っていました。このことが後に、文化と言葉と国籍との関係を考える基盤となりました。
▲ アメリカには、6歳のころにもう一度帰っています。ミネソタ州のノースフィールドという街で小学校に行きました。このときどういうわけか、アメリカ中西部のアクセントが自分の身体に残りました。この後、英語は忘れてしまったのですが、身体に染みついた、ネイティヴと変わらないアクセントの存在が、逆に<ネイティヴ>とは何なのかという疑問を常に私につきつけることとなりました。
▲ 地元の小学校を出た後、同志社女子中学・高校と進みます。国語は得意科目ではありましたが、結局大学では歴史を勉強しようと決めました。決めた理由は単純。司馬遼太郎の歴史小説が好きだったのです。同志社大学の文化史学科に入ってからようやく、自分が<歴史>と<歴史小説>を混同していたことに気づきました。
▲ 大学卒業後、アメリカのマサチューセッツ州にあるアマースト大学に編入しました。学校で学ぶ<英語>にはあまり興味をもてなかったのですが、<外国語>を話すことによって出てくる不自由さには強烈に惹かれ、「英語を自由に使えるようになること」が人生の目標の一つになってしまうところまでこの言語にコミットすることになりました。
▲ 大学院はミシガン州のミシガン大学に行きました。日本の文学とアメリカの文学を比較するつもりで、比較文学科なるところに行ったのですが、フタを開けてみると、そこは文学理論を専門に勉強する場所。わけもわからず、フーコーやデリダやラカンを毎日読まされ、私が勉強したかった<文学>とこれらがどのように関わるのか、頭に???をいっぱい抱えていた2年間でした。今にして思えば、私はアメリカで脱構築の理論的訓練を受けた最後の世代ということになるのだろうと思います。
▲ この頃、私に決定的な影響をあたえることになった二人の人との出会いがありました。一人は今でも躊躇なく親友と呼べる上田敦子さん、もう一人はどうしても先生をつけなくては名前を呼べない作家の水村美苗さん。上田さんはいわゆる帰国子女で、自分たちが<言葉>に取り巻かれていて、それが自分たちのどうしようもない部分を形成しているのだ、という認識を共有できた数少ない人でした。水村先生は<言葉>で考えるのではなく、<言葉>を通して思考するということを、身をもって教えてくださった方でした。
▲ <理論>責めの比較文学科を修士でさっさと見切りをつけて、日本文学科に移った私でしたが、比較文学科を去ってから本格的に<理論>と向き合うようになりました。博士論文を太宰治で書くことを決めてから日本に帰り、東京大学の小森陽一先生のもとで勉強をさせていただくことになりました。<読む>という行為の持つ可能性を、私は小森先生から学びました。
▲ 博士論文を書きながら就職活動をして、信州大学経済学部に職を得ました。<英語>を教える仕事です。日本の中で<英語>という言語が占めている奇妙な地位について徹底的に考えさせれられた3年間でした。経済学や政治学といった異なる分野にいる人であっても、<言葉>について考えている学者がいるのだなあと知ったのも、この信州大学経済学部でした。特に井上信宏さんとは、読書会や映画会、学会発表など、分野を超えたプロジェクトをいろいろと組むことになりました。
▲ 2002年から早稲田大学国際教育センターで、<英語>で<日本文学>について教えるという仕事に就くようになりました。この四月から新設された国際教養学部に移ってからも基本的な仕事内容は変わっていません。<日本語>を学ぶ外国人留学生や、かつての私のように<英語>を学んで<留学>しようとしている早稲田の学生に日々接する中で、私の<言葉>への思いは尽きるところを知りません。

| | Comments (3) | TrackBack (0)