「ヴィヨンの妻」をふたつ
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友人を誘って公開中の映画「ヴィヨンの妻」に行く。
画面は一見しゃれたフランス映画のようでもあり、
細部までよく作られ過ぎたためにむしろ平成の匂いがする、
人工的な「昭和」である。
(私は横浜のラーメン博物館を思いだした)
前半部分のセリフは極めて原作のセリフ部分に忠実に作られている。
ただ原作は妻の「私語り」なので、いわば実際に発話されているセリフ
(小説で言うと主にカギかっこ部分)以外にこころの声があり、
むしろそれが中心なのだが、
映画は「私語り」方式になっていないため、
会話部分しか再現されていない。
つまり「こころの声」の部分は役者の演技でまかなわなければならないことになるが、
松たか子はさすがにそのへん堂にいっていて、
細かい表情の変化が雄弁で退屈させない。
一カ所だけ「私ってお金になるのね」という原作にないセリフが入っていた。
「椿屋のさっちゃん」として居酒屋で働き始めた妻が、
初めて自分で稼いだ現金を手にしてこう言うのである。
私は自分が書いた「ヴィヨンの妻」論でこの場面を強調したので、
「なかなかわかってるやん」などと悦に入っていた。
さて、太宰の分身とされる夫の「大谷」だが、
どなたかが新聞の評で「夫」である大谷があまり魅力的でない、と評しておられた。
だが、私はそうでもないと思った。
①仕事ができて
②それでもおごらず
③むしろ苦しげで
④妙に素直に女に頼るところもあり
⑤人と交際するのが実は苦手で
⑥他人を怖がりつつ無謀なことをしてみたりして
⑦それでいて他人の評判を気にする気弱なところもある
と属性を列挙してみるとけっこうツボの男ではないのか?!と思ったりして。
それともこれって単に私の趣味か?
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もう一つの「ヴィヨンの妻」は、
NHKアナウンサー山根基世さんの朗読されたCDである。
友人が絶賛していたので借りてきたのだが、
知性と訓練に裏打ちされた朗読、感情を必要以上に表に出さないところなど、
原作と非常に合っていて美しい。
耳で聴いていると読んだときには気づかなかった言い回しなどにも気づかされ、
あらためて、太宰の中では秀逸な小説だなあ、と思い返したことであった。
小説の朗読は好きでiPodに入れて聴いたりしているが、
声自体に安定感があってずっと聴いていたいと思う人は少ない。
変に特徴のある声も、読み手の身体ばかり脳裏に浮かんでだめである。
感情をむやみにこめられたら邪魔だし、
役者の技術を競うように読まれてもうっとおしい。
山根さんんはアナウンサーであって役者ではない。
あくまで、主役は小説、自分は透明な媒介、
という思いがおありなのだろうと思う。
その控えめな決心が快い。
考えてみれば日々のニュースの主役はコンテンツであるから、
ニュースを伝える人間の突出した個性はむしろ邪魔である。
よく考えてみれば当たり前のことだが、あまり気にかけてはいなかった、
アナウンサーという職業のプロ意識を見た気がした。


